[映画]No Direction Home

djmomo2005-09-27


マーティン・スコセッシが監督した、ボブ・ディランのドキュメンタリーが、PBSで2日に分けて放送された。歴史とその中の個人、両方を描いたいかにもスコセッシ好みの主題でもあり、「ギャングズ・オブ・ザ・ニューヨーク」なんかより、よっぽど面白いので、もっとドキュメンタリーを撮ってほしいと思ったが、ディランほど知名度があって、音楽の世界の中だけでなく、その変遷が論争を呼び、取り上げて面白い人は、ミュージシャンでは他に思い当たらない。

ディラン主演の映画Don't Look Backの監督DA Pednnbakerがとったものと、ディランがエレキに転向して論争を呼んだ1965年のニューポート・フォークフェスティバルからの未公開フィルムが豊富に使われている。ディランおよび他のフォーク・ミュージシャンの演奏(フォーク・パロディー映画Mighty Windの正確さがわかった)と、ジョーン・バエズピート・シーガーらへのインタビューも盛り沢山。

第一部と二部は、大まかにLike a Rolling Stone以前と以降、つまりエレキ転向前と後に分けられる。1961年にディランがミネソタからNYに出てくると、グリニッジビレッジではビート世代全盛期。アレン・ギンズバーグらが、コーヒーショップでポエトリーリーディングを始め、詩の朗読の間には音楽の演奏が入る。今のNYにも続いている、オープンマイクやハプニング的なパフォーマンス(ビニール状の物を体に巻き付けて歌ったり、鍋をたたいたり)の映像もあって、歴史が続いている事を再確認し、NYで演奏できる事を改めて誇りに思う。カフェでのポエトリーリーディングは、ここ数年リバイバルの波がきていて、専用のカフェもできた。ディランの初期のスタイルは、現在のそういったカフェでのリーディングに続いている事を感じさせたし、その前にパティ・スミスらがいる事はもちろんだ。

ディランがオリジナルを演奏するようになると、フォーク界に衝撃を与える。ビートの生き証人(インタビュー当時)ギンズバーグが、ディランのレコードを初めて聞いた時、ビートからフォークに時代が移ったのが分かって、すすり泣いた、というエピソードは非常に興味深い。その頃、時代は反戦や市民権運動で揺れている。ディランを頂点とするフォークは、その時代の気分を反映して、多くの若者の支持を得るが、特定の題材を取り上げるにつれ、普遍的なアピールを失なっていく。ディランがエレキに転向した、ニューポート・フォークフェスティバルを、フォークの頂点であり、終わりの始まりとしてとらえている。スコセッシ自身も、Like a Rolling Stoneで初めて、ディランを知ったそうで、エレキ転向はフォーク界以外にもフォークを知らしめるきっかけになったが、ロックへの歴史の引導を渡した瞬間ともなったわけで、フォークを殺してしまったディランをフォークファンの聴衆が、裏切り者!ユダ!とののしるのは、ある意味では正しい。ディランは、自分はtopical singer ではない、と語っており、エレキ転向後は歌詞もより普遍的な内容になる。ミュージシャンなら誰でも機会を見るだろうが、ディランは特にそれに優れていた、という証言もある。

このように、ビートからフォーク、ロックへの音楽と文化の歴史の流れを、社会の動きと不可欠である、ととらえていて、とても面白かった。もちろん、その中の1人であるディランの天才論としても優れている。常に、人の行った事のない場所に行こうとし、歌わざるをえないから歌ったディラン。皮肉にも、1966年のバイク事故により音楽活動を一時停止、その後は以前の素晴らしさはなくなってしまうのだが。当事は、現在よりも芸術がカネによって動かされておらず、人々は、例えばオーネット・コールマンを、he has something to say, 聞くだけに値する物を表現しているから聞きにいった、というインタビューには、現在音楽をしている者として、身につまされる。

翌日、やはりPBSで、パブリックエネミ−のチャックDがホスト役の、音楽によるプロテストの歴史をつづった番組を上演していて、ディランと合わせて、とても面白かった。フォークは衰えたが、社会や政治に対して異議を唱えるプロテストソングの伝統は、ライブエイドやラップなどの例を挙げるまでもなく、延々と続いている。特定の出来事を歌った曲やアーティストは残りにくい傾向はあるが、例えば、U2 のSunday, Bloody Sundayはロックの古典だし、絶対的な真実ではない。歴史を一つの要素だけで単純にとらえることはできない、とその複雑さを再確認して、興味深かった。