オバマ大統領就任


2009年1月20日オバマが大統領に就任した。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの記念日でもある19日に、近所のイーストビレッジにあるTheater for the New Cityでの就任を祝うイベントに参加した。
夜9時半ごろ会場に着いたが、3連休の最後の日だというのに、人人人の嵐。新年とゴス抜きのハロウィーンが一緒になったような騒ぎだ。大小3箇所ある劇場では仮装ダンスパーティー、音楽やダンス、演劇やポエトリーリーディングのパフォーマンスが深夜過ぎまで行われた。様々な仮装をした人たちが通路にあふれ、演劇関係のイベントらしく、仮装メークを施すコーナーもあり、ロビーにはオバマ政権への願いを書いた葉っぱを吊るすための木が置いてある。あちこちでオバマ就任と新年を祝う言葉が聞かれる。ブッシュの大きな頭を被った男が歩きまわり、ブーイングを浴びている。
フリージャズのリード奏者ジョー・マクフィーらが指揮する、約40人の大アンサンブルを聴いた。ホーン、ストリングス、パーカッション、ボイス(16日のニューヨークタイムズ掲載の、オバマにあてた子供たちの手紙の朗読など)、ダンサーらが、即興を交えた即席アンサンブルながらも巧みな指揮により、メリハリの利いたうねる音と、それと一体化したダンスを生み出していた。
http://www.theaterforthenewcity.net/dreams.htm 

就任式の夜のイーストビレッジは、連休明けの火曜日の夜らしく静かだった。リベラルな市民団体ムーブオンが各コミュニティで開催した就任パーティーに行った。規模の大きなパーティーもあるが、昨夜と気分を変えて、家からいちばん近いこじんまりしたビストロである。就任式のビデオを見ながら、ディナーや酒を各自で楽しむ、ポジティブだが落ち着いた雰囲気だった。少々期待はずれだったとはいえ、オバマ効果で早速、アメリカ経済に貢献したと思えばいい。

就任式は仕事場のテレビで見た。オバマのスピーチは特に目新しくはなく、いつもどおりのレベルの高さ。大統領に就任しようとするオバマがレッドカーペットを降りてくるのと、彼にエスコートされてヘリに乗り、ワシントンを去るブッシュの姿が対照的だった。パレードで、車を降りて歩くオバマ夫妻の勇気にも仰天した。
大統領就任式を通して見たのは初めてだが、非アメリカ人として不思議に思ったのは、宗教的要素の多さだ。ファインスタイン上院議員は開会の挨拶で「God bless America」と述べ、プロテスタントの牧師二人が祈り、(保守的なエバンゲリカル(福音派)のメガチャーチ(巨大教会)のスター牧師リック・ワレンが開会の祈りを行い、公民権運動の指導者であるユナイテッド・メソジスト教会のジョセフ・ロワリー牧師が就任演説後に祝福の祈りを捧げた)、オバマとバイデンは聖書に手を置いて就任を誓い、オバマは「God Bless you and God bless the United States of America」と演説を締めくくる。アメリカ人の同僚に聞いてみたところ、他の大統領の就任式でも、宗教的要素の量はあまり変わらないらしい。
オバマ自身はプロテスタントだが、オバマの演説は、「We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus, and nonbelievers. We are shaped by every language and culture, drawn from every end of this Earth.」と無宗教を含む全ての宗教と文化を認めている。それでも式自体には、これほど沢山の宗教的(特にプロテスタント)要素が含まれており、牧師も保守とリベラルの両方を採用したのは、保守的な人々が多いアメリカで、自分の人種を声高に叫ぶことなく当選したオバマらしい現実的なバランス感覚だろう。米国憲法にはキリスト教も神も出てこないはずなのに、歴史を重ねるにつれ原始的になる不思議な国アメリカ。ドキュメンタリー映画ジーザス・キャンプ』に出てくるような狂信的な福音派でなくても、大統領がキリスト教信者でないと不快に思う人が沢山いる不可解な文明国だ。例えば、数年前までノースカロライナ州では、裁判所の証人宣誓に聖書以外は使えなかった(http://www.foxnews.com/story/0,2933,275266,00.html)。とはいえ、現実は現実としてあるのだから、あえて初めから反感を買うこともない。下手すれば撃たれてチェンジどころじゃない。波立てないように形式は守っておいても、本当の変革を行ってくれれば良い。そういう意味と文脈において、多様な人種と文化が存在する世界での絶対的な存在を神と呼ぶなら、オバマに神の加護があって欲しい。