「生きものの記録」「王女メディア」「Attack of the Killer Tomatoes」

  

「生きものの記録」

水爆の恐怖におびえる老人を描いた、笑うに笑えないコメディで、笑える作品にした方が映画として優れていたのでは、とも思うが、水爆に対する不安は、涙が出てくるほど真に迫っている。英語の題は、ずばりI Live in Fear。三船敏郎演じる老人は、水爆から逃れるために、地下シェルターを作ろうとしたり、ブラジル移住を家族に強いようとする。老人の家族は、水爆恐怖のために財産を無駄に使う家長の彼から、財産を取り上げてしまおうとする。

今は1955年当時と違い、安全な場所は世界中どこにもない、と初めから分かっているし、冷戦構造もない。が、情報量が増えただけ、戦争やテロなど外的要因だけに限らず、人々の不安はさらに強まっている。911の後は、私もカナダ移住を考えた。不安と前向きな心のバランスを何とか保って、人は生活してるわけで、そのバランスが崩れた老人を、私たちは笑えない。とはいえ、すでに感じている彼への共感を、家庭裁判所の調停人(志村喬)や精神科医が説明的なせりふで表現するのは、くどくて興ざめ。

三船敏郎の老け役は良し悪しで、ぎらぎらしすぎていて老人には見えず、妻役が妻に見えない。が、その分、神経衰弱のインテリでなく、やり手の工場経営者が陥る不安と、めかけの子供たちをも含めた自分の家族を守ろうとする、オスとしての本能が良く出ていた。家庭内の争いも、作品の中ほどの修羅場ほどではなくても、家族のめんどくささを経験した人なら、誰でも痛く思うはず。老人は、親切な手紙をくれたブラジルの農場主のことを引き合いに出し、他人でもこんなに親切なのだから、お前たちも私のことを分かってくれ、と涙ながらに訴えるが、他人じゃないから親切に出来ないことがあるのだ。

オープニングとエンディングの、テルミンをフィーチャーしたビッグバンド、という珍しい編成の音楽も印象的。スィングしてない重たいジャズ、サックスにテルミンが不吉な雰囲気をかもし出す、早坂文雄の遺作である。

「王女メディア」Medea

ギリシャ悲劇を元に描かれた呪術的世界。衣装などの設定は古代のようだが、どこかにありそうな現代世界のようにも見える。ジョークのない「エル・トポ」のようでもあり、仮面をかぶった生贄の儀式は「ウィッカー・マン」も連想させる。ユーモアがない分、映像と音楽は美しい。主演のマリア・カラスは、どのカットも美しく(特に横顔)、全く歌わなくても、今にも死にそうな緊迫感を表現している。トルコのカッパドキアなどのロケーション映像も美しい。「平家物語」を題材にした筝曲やラマ教の音楽、ブルガリア女性合唱(「攻殻機動隊Ghost in the Shell」を思わせた)など、国籍がミックスされた民族音楽も、幻想的な世界に溶け合っている。パゾリーニの1969年の作品。

「Attack of the Killer Tomatoes」

「鳥」のように「ジョーズ」のように、トマトが人間たちを襲いだす話だが、題名が一番面白い。タイトルにつられて見たら大失敗。オープニングクレジットから、なりふりかまわず笑いをとろうとする努力が展開されるチープな作品。Bムービーの愛らしさは、狙ってないゆえのユーモアなのに。強烈な睡眠光線が放射されていて、家族全員(二人と猫二匹)眠りこける。1978年作で、カルト映画の古典とされている。