ヤクザの息子

私の担当の美容師は、ゲイでヤクザの息子。腕もセンスも良いが、話も面白い。
先週ヘアカットに行ったときの会話。

さいころから人形の髪をいじっていて、「長い髪でしっとりした感じ」のフローラ(ジェニーの友達)が特にお気に入りだった。男ばかり三人兄弟の末っ子で、父親はそれぞれにサッカーボールを買い与え、兄たちは大喜びしたが、彼は悲しかった。が、母親は父に向かって「あの子は今、自分の部屋で泣いてるわよ」と指摘。父は部屋に来たが、涙が止まらなかった。ある日、父はバービー人形を持って帰宅し、彼は大喜び。それから、今までの分を埋め合わせるかのように、毎週末にバービーやリカちゃんを買ってもらった。近所のどの女の子よりも充実した人形コレクションで、友達が沢山遊びに来た。

が、リビングルームのサイドボードには、ホルマリン漬けの父の小指。当然、友達はびびっていた。なんでそんな場所に、と母に抗議すると「だって捨てるわけにもいかないし、やたらなところにも置けないし」との答えが。

バービー人形買い与えが示すように、ヤクザの子育ては、物量作戦とヤクザとしてのプライドに支えられていた。小学校の修学旅行用の洋服として、8万円のコート、5万円(?)のセーターなどを買い与えられた。きんきら成金趣味でなく、子供の目からは、他の子供服と見分けがつかないようなデザイン。でも、小学校は私立ではなく公立(上の兄さんの幼稚園(?)は私立だった)。小遣いを与えておけば大丈夫という、商売をしている家にもありがちな子育てだったため、ぐれた。

お正月には大人たちが賭けマージャンやトランプを家で行い、一晩中寝ずにおしぼりやコーヒーを運んで、チップをもらった。お年玉もたっぷりもらっていたので、その場で現金を一番沢山持っているのは子供たちだった。一口千円のトランプに加わると、大人たちは子供だからと容赦せず、金を巻き上げようとした。

ゲイとしてカミングアウトしたとき、母は「知ってたわよ。あんたはいつ気がついたの」と逆に聞き返され、いったん隠すとどこまでも隠さなければならなくなるから、それで友達が減っても隠さないように、と言われた。

絵を描いたりもした父の血を継いだのか、芸術的センスもあり、できの良い中の兄は、土木会社に勤め、長年現場で働いていた。社長に気に入られ、社長が引退するにあたり、次期社長になることが決まった。特にとりえがない上の兄は、中の兄と一緒に土木会社で働いている。

ヤクザの子供の話、三池崇史にでも映画化してもらいたいなあ。独創的でユーモアあり涙あり、で絶対受ける、と彼と盛り上がった。ほんと、もっと聞き書きして、台本書きたいね。
以下は、今年の日記からの抜粋。

2月:
日曜日、美容師から面白い話を聞いた。ソーホーの大きくてお洒落な店に移ったばかりなのに、予約ミスで遅刻してしまった彼は、すまないと思ったのか、サービス満点に色々と自分の身の上話をしてくれた。

日本人経営の店で働いていた彼は、知り合いの髪をカットしたことがきっかけで、ハリウッドにもサロンがある今の店のオーナーにヘッドハンティングされ、NYコレクションや雑誌の仕事も始めた。NY3年目にして順調なキャリアアップぶりの29歳だが、元はヤンキーでシンナー&シャブ中だった。殆どアル中のレベルだった酒も、半年ほど前にやめて以来、健康的に体重も減り、男っぷりが増した彼なのである。

彼いわく、ぐれてたのは家庭環境のせいで寂しかったから。父親はヤクザで、大物組長射殺事件にかかわり、実名は出なかったが報道されたこともあった。子供の頃、父の稼業が何であるかは知らなかったが、複雑な環境は彼の心に影を落としたようだ。祖父は学者だったが、父の代になり突然兄弟4人がそろって家出、ヤクザになってしまい、祖母を嘆かせる。父親はなかなかの男前で面倒見もよく、絵や字、文章が達者で、獄中から母に送った絵入りの手紙や日記が父親の死後、彼の手元に残され、実家の応接間には父の書いた大きな風景画の油絵が飾ってあるそうだ。

親子3代に渡る年代記は『ワイルドスワン』みたいで、映画になりそうだ。3代目はゲイでNYでヘアスタイリストとして活躍してるとは、ご先祖様もびっくりだろう。でも、ヤクザも男の世界だから違和感なかったりして。

4月:
ヤクザの息子でゲイのヘアスタイリストに、母親の話を聞く。指を詰めるといっておきながら、いざとなるとびびるヤクザも結構いるそうで、彼の母は体重をドスにかけて、指詰めの介添えをしたそうだ。一回でなく二回までも。子供を産む女の方が、身体の痛みには強いよね、と出産経験のない女とゲイの男が語るのもおかしい。