I'm Not There

NO,HE IS NOT THERE.
ボブ・ディランの様々な側面を実験的な手法で描いた伝記映画だが、題名通りそこにディランはいない。彼に近づいたと思うと、次の瞬間にはまた遠ざかってしまう。

ケイト・ブランシェット(改革者。’65年の英国ツアーを撮ったドキュメンタリー「Don’t Look Back」の中のディラン。ロック転向後)、クリスチャン・ベール預言者。フォーク時代)、ヒース・レジャー(落ち着きない恋人。俳優)、ベン・ウィショー(謎めいた詩人)、リチャード・ギアビリー・ザ・キッド)、マーカス・カール・フランクリン(ウディー・ガスリーと名乗る黒人の少年)ら6人の俳優がそれぞれ異なる時期のディランを演じ、彼の多面性を表現している。ディランの名前はオープニング&エンドクレジット以外には出てこない。ベールはジャック・ロリンズという役名で、ジョーン・バエズらしきフォーク歌手(ジュリアン・ムーア)が登場して彼の思い出を語る、など偽ドキュメンタリー仕立ての部分もある。

これらの人格には一体感がなく、ディランの歌がずっと流れているにもかかわらず(他のアーティストによるカバーもあるが)ディランではなく上手に口パクしているそれぞれの役者が歌っているように聞こえる時すらある。アイデアは面白く、役者の演技もうまい(特にケイト・ブランシェット)。ニューポート・フェスティバルでのロック転向が観客に与えた衝撃を表すために、ディランとバンドがステージからマシンガンを撃つなど、白黒&カラーの時にシュールな映像はキャッチーだが(ゴダールフェリーニの影響が感じられる様式)肝心のディランが感じられない。トッド・へインズ監督はディランの熱烈なファンらしいが、スコセッシの「No Direction Home」のようなストレートなドキュメンタリーと違い、彼の音楽と人生を知らない観客がディランを知るために適切ではなく、ディランを知らない人に彼のすごさを伝えることに失敗している。唐突な例だが、やはりアメリカン・ポップカルチャーのアイコンである「スパイダーマン」の映画化が、原作の大ファンであるサム・ライミの手により、おたく男子以外にも幅広くアピールする作品になったのと対照的だ。演奏するディランの超クローズアップが、最後の最後に映し出されるまで、ディランはいない。