Herb and Dorothyハーブとドロシー


1960年代初めから4千点以上のモダンアートを収集してきた、ハーブとドロシーのボーゲル夫妻を描いた、佐々木芽生(めぐみ)監督によるドキュメンタリー映画「Herb and Dorothy」がニューヨークで公開中だ。ボーゲル夫妻はNY美術界で最も有名な収集家の一人だが、一般的なコレクターのイメージからは程遠い。夫のハーブが郵便局で、妻のドロシーが図書館で働き、妻の給料で生活し、夫の給料でアパートに収まる大きさの作品を購入してきた。マンハッタンのつましい1ベッドルーム・アパートの壁は、トイレに至るまで美術作品でぎっしり埋まっている。
人に命令されるのが嫌いで高校を中退したハーブは、ワシントンDCへの新婚旅行で美術館を訪れ、展示作品についてドロシーに語る。彼女も美術に興味を覚え、新婚夫妻の絵がアパートを飾るようになる。やがて自分自身の才能には見切りをつけ、1960年代初めから、同年代の作家による作品の収集を始めた。ポップアートが美術界を席巻しだした時期で、すでに夫妻の給料ではそれらの作品には手が届かず、ミニマルアートやコンセプチュアルアート作品を集めた。直接アーティストから現金払いで作品を買い、彼らの成長過程に興味を示し、スケッチも含めて貪欲に全てを見たがる夫妻は、若手アーティストたちの大きな味方であり友人となり続けた。その中には、後に有名になったソル・ルゥイットやドナルド・ジャッド、クリスト&ジャンヌ=クロードらがいる。
アメリカ美術の歴史そのままであるボーゲル夫妻のコレクションには値段が付け難い。1992年、彼らはアパート一杯になった収集品の大部分をワシントンDCのナショナル・ギャラリー・オブ・アートに寄贈した。引越し用大型トラック5台という膨大な量である。他の美術館からの巨額の申し出もあったが、国のために郵便局または図書館で働いてきた夫妻は、入場料無料の国立美術館への寄贈を選んだ。収集作品を売ったことは一度もない。アパートに収納スペースができると、彼らはまた収集を始めた。
作品自体はいたってストレートな作りで、好きとか感動とかは、私は感じなかった。でも、作品を基準として自分や夫の姿を重ね合わせると、何時間にもわたって語ることができる興味深い材料である。もちろん、感想は人によって違い、私の前に座った女性客は「They’re so adorable and great!(なんてキュートだし、すごい人たち!)」と素直に感極まっていた。今では死語だろう「おしどり夫妻」という言葉がぴったりな、人当たりのいいドロシーと、口数少なく「猟犬のように」アートを求めるハーブの姿は確かに微笑ましい。美術品についてアカデミックな説明はできなくても、優れた鑑識眼を持ち、気に入った作品を手に入れて身の回りに置きたいという情熱が、性格の違う二人を結び付けている。私は夫と音楽をやっているが、情熱のタイミングと量を長期間持続させるのは大変なことだから、彼らがうらやましくもある(自分たちが好きなアーティストと友達づきあいをするのも、二人だけの関係が煮詰まらないようにするコツだろう)。でも本当にそうかというと違う。子供がおらず、猫や亀、魚と住む以外は、彼らの生活は全てアートに捧げられているようだ。収集作品を少しでも売ったら、賃貸に住み続ける代わりにアパートを買うこともできたかもしれなかったが、そうしなかった。親しいアーティストの一人は、「彼らは純粋だ」と語るが、私は「純粋な」アーティストや芸術愛好家なんてのは、マーケティングプロパガンダの中にしか存在しない、胡散臭いものだと思う。純粋じゃない人間を描くのが芸術じゃないだろうか? 彼らの情熱は尊敬に値するが、気に入った家具のある居心地いいアパートにも住みたいと私は思う。「純粋な」彼らを基準に、不純な自分の情熱をどこで、どうやってパートナーと折り合いを付けていくかを考えさせられる。
「純粋な」彼らが二人とも公務員だった事実も非常に興味深い。彼らは、ある意味で芸術に自らを捧げた理想的な「芸術官吏」と呼べる。そうした彼らが、国立のナショナル・ギャラリー・オブ・アートを信頼して、自分たちの人生といえるコレクションを寄贈したのは当然かもしれない。もちろん、これはアートに興味や理解がある公務員が多いということではなく(実は私も役所で働いている)、ハーブは自分の趣味を同僚に秘密にしていた。文化の保存や交流は、国が主導すべきではなく、政府は支援にとどまるべきだと思うが、どういった形が理想なのだろうか?この映画は、その解答の一つでもある。また、夫妻は美術学校を卒業していなくても素晴らしい鑑識眼を持っており、教育の意義についても考えさせられる。
彼らを優秀なビジネスマンだと評するボストングローブ紙のレビューを読んだら、なぜ私が「純粋さ」にひっかかったのか分かった。夫妻が金にこだわらないということが強調されているものの、彼らは仙人というわけではないからだ。佐々木監督が彼らを知ったきっかけは、クリストの作品の貸出先としてだった。知り合いのギャラリー経営者に確認したところ、美術品の貸し出しは基本的には賃貸料が伴う。2008年からはナショナル・ギャラリーを通じて、全米の美術館に寄贈を行うプロジェクトを始め、自宅にある作品の一部は美術館展示の前に傷まないようにとカバーがかけてある。ハーブは、美術品の購入価格について語るのを拒否している。金銭に潔癖ではあるが、やりくりしながら収集してきた彼らのことだ(ドロシーがきちんと帳簿をつけているとの発言がある)、金銭を気にしないわけではなく、それが自然だと思う。が、美術界に詳しくない監督が錯覚したのか、それとも意図的な情報操作なのか、彼らの「純粋さ」が不自然に強調されているのが気になる。いずれにしても、彼らが金で買えるアート以外のものに興味がないことは変わらない。彼らはナショナル・ギャラリーが寄贈に対する感謝として送った年金で、またアートを収集しだしたのだから。恐るべき収集癖である。
http://www.boston.com/ae/movies/articles/2009/07/10/herb__dorothy_looks_at_longtime_art_collectors/