The Thousand Autumns of Jacob de Zoet by David Mitchell

この夏は,パンツをはかずに走り回っているような,スタローンの「エクスペンダブルズ」が2週間興行トップとなったことからも分かるように、映画が不作で,本を沢山読んで過ごした。


「The Thousand Autumns of Jacob de Zoet」は、18世紀末から19世紀末に長崎の出島で過ごしたオランダ東インド会社社員のヤコブ・ダズートという架空の人物を中心にした歴史小説で,ニューヨークタイムズやタイム誌などでも大きく取り上げられた新刊。この話題作を一言で表すなら,「映画化しづらい山田風太郎」だ。


史実では,長崎に違法侵入した最初の外国船は1808年の英フェートン号だが,ここでは1800年の英フィーバス(Phoebus)号で,オランダ船に偽装した英国軍艦が出島を攻撃して,ナポレオンに支配されたオランダから交易権を奪おうとする。ちなみに,フェートンは太陽神フィーバスの息子だ。史実や神話を踏まえた上での虚構が,風太郎の小説を思わせる知的な楽しみを与えてくれる。


日本史を知らなくても,楽しみは沢山すぎるほどある。大航海時代の終わりからオランダの台頭と衰退、イギリス帝国の隆盛とナポレオン時代へという大きな歴史の流れ,その中の小さい流れであるオランダ東インド会社内での権力闘争や日本国内での政治闘争,異文化の衝突,出島のオランダ人医師の下で勉強する助産婦・藍場川オリトとヤコブのロマンスなどが479ページにぎっしり詰め込まれている。オランダ語から日本語への通訳に際し,日本人通訳が政治や政策に配慮して言葉を選ぶ場面も具体的で興味深い。


吸血鬼伝説を思わせる猟奇的な場面や,オリトが手がける難産や,オランダ商館の窃盗犯の首切り場面などのグラフィックな描写も風太郎的だ。と思えば,折々に繊細で詩的な描写もあり,そのコントラストが独特だ。アメリカで日本の歴史に興味を持つような人はほぼインテリに限られるので、風太郎よりは文学臭が強いが。


映画化しづらいというのは,効果的に省略を効かせて想像力に訴えるという小説ならではの手法で,その長さにもかかわらず,アクション場面はあまりない。この手法が最高に生かされているのは,出島オランダ通詞の小川うざえもんを主人公にした第二部だ。借金のかたに幽閉されたオリトを助けに行く場面は,予期されたアクション場面なしに片がついてしまう。と思いきや。。。という意外な展開にはうならされる。風太郎だと歴史や政治背景を踏まえたうえでアクション主体だが,アクションを避けて,背景とそこから生じるドラマを丁寧に書き込んである。筆者の奥さんは日本人で,広島で英語を教えた経験もあり,何ちゃって「SAYURI」とは格段にリサーチ量が違うのは明らか。


筆者が意識したかどうかはわからないが,現在の日本と当時のオランダのパラレルな関係も考えさせられる。島国の鎖国体質が当時から殆ど変わっていない日本の役人。日本経済はついに中国に追い抜かれた。一方,オランダはナポレオンのフランスに占領され,オランダ東インド会社は1799年に破産した。オランダはポーランドのように分割消滅するかもしれないと本書では心配されているが,実際はそうならず,ナポレオン帝国の崩壊に伴い,オランダは主権を回復した。当時の日本は,英仏列強とでなく落ち目になったオランダと交易を続けるという,今も変わらぬ外交センスのなさ。


筆者のDavid Mitchellはイギリス人だが,この作品を読む限りは,日本びいきオランダびいきでイギリス嫌いだ。大英帝国が現代アメリカのように武力で我を通し,しかも狡猾な国として描かれている。ヤコブとオランダ医師マリヌス及び長崎守備兵は,英フィーバス号の出島砲撃を迎える(これは唯一グラフィックなアクション場面)。といっても,出島に武器はなく,守備兵も長崎奉行の知らないところで規定人数より大幅に少なくなっていた。が,イギリスは不思議にも最後の最後で撤退してしまい,その理由は明らかにされず,読者に考えさせる。フィーバス号艦長は,オランダの勇気とイギリスの軍備の対決と考える。ヤコブの行動から読み取れる勝利の原因は,勇気と独立心,頭脳,それに家族に伝わり,文字通り命を救ってきた聖書詩篇である。日本は,これからずるずると停滞を続け,衰退していくのか。そこから抜け出す鍵の一部があるかもしれない。


他にもグラフィックノベルを中心に色々読んだが、長くなったので明日。