ウィーンへの旅


2005年から始めたこのブログは、今日10万ヒットを迎えました。今まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。映画評を中心に始めましたが、特に今年はあまり見たい作品もなく、漫画ブログを始めたこともあって更新頻度が減っていますが、取り上げる価値のある映画や本やNYの生活について、これからも書いていきたいと思うので、よろしくお願いします。


10月8日夜〜9日
夫は昨年からベートーベンに夢中である。凝り性の彼は,ベートーベン・ファンにとっての聖地ウィーンへの旅行を提案し,私たち夫婦は10月9日から17日までウィーンを訪れることになった。友人を訪ねるか演奏旅行以外の旅に興味がなかった彼と旅行好きの私の過去のバケーションでは,苦いすれ違いからお互いを学んだが,今回は事前から二人ともエキサイトしている。夫は、ベートーベンゆかりの場所や私が行きたい美術館などをマイマップに入力しただけでなく,コンパスまで買う張り切りよう。二人の興奮が回りにも伝わるのか,この旅は,はなっから楽しい出会いがあった。


金曜夜で,JFK空港までの道は渋滞していたが,タクシードライバーのおかげで快適なドライブだった。ネパール出身のミスター・シェルパは、エベレストのシェルパだったが, 1998年にアメリカに移住。彼の家族全員がシェルパで,兄弟の一人はエベレストに6回登りギネスブックに載ったそうだ。裕福なヨーロッパ人のお得意を持ち,スイスやイタリアを何回も訪れたという彼が,なぜニューヨークでタクシーを運転しているかは、たずねることはできない疑問である。政治的な亡命だろうか?空港に着いて荷物を降ろすのを手伝ってくれたシェルパ氏の体は,思ったとおり背が低くいかにも頑健そうだったが,声から判断したよりはるかに若く見えた。



ブリティッシュ・エアウェイズでロンドン経由ウィーンへ。JFK〜ロンドン間は,クロアチアザグレブから来た30代前半のカップルの隣に座った。Draghon(のどごいのr。男) と Goga(女)は,2週間のアメリカ旅行を終えて帰国するところだ。彼らはアメリカについて語り,私たちはウィーンやブダペストザグレブについてたずねた。Goga はクロアチア政府で働く土木技師,Draghonは獣医で,狂牛病を10年間検査してきた。その間,クロアチアでは狂牛病が見つからなかったそうだ! 彼の父も,クロアチア語でハニーとかスウィートハート を意味するDraghonという名で,母親がどちらかを呼ぶと二人とも返事をする。


彼らの英語はうまかった。ロンドン〜ウィーン間は隣にならなかったが,Goga はパスポートの列に並んでいる私たちのところに来て握手をした。これら二つの出会いは,英語が話せることのありがたみを改めて認識させてくれた。ヨーロッパの大国出身の人々の英語のうまさには慣れているが,小国からきた人たちとのコミュニケーション手段として,さらにありがたみを感じる。


ヒースロー空港は巨大だ。乗り換えに10分以上かかった。出発ロビーは,忙しい巨大ショッピングモールのようだ。サンドイッチとスープの味も疑問。トイレにあるダイソンもどきの超強力ハンドドライヤーだけは気に入った。ブリティッシュ・エアウェイズの紅茶は美味しい。チキンマサラとワインも割といけた。


10月9日夜



空港から直接ウィーン・コンツェルトハウスに向い,ベートーベンのコンサートにぎりぎりで間に合った!なぜこのように忙しいスケジュールになったかというと,ウィリアム・シャトナーのせいである。彼が宣伝しているオークション制旅行サイトPriceLine.comで旅行を予約した。値段はびっくりするほど安かったが,時間が選べず,7時半からのコンサートなのに,ウィーン着6時10分の飛行機になってしまった。飛行機が30分遅れて冷や汗ものだったが,入国審査は問題なく,タクシーもすぐにつかまり,息を切らせながら7時10分には会場に着いた。


なんて素晴らしいコンサート!パーヴォ・ヤルヴィの指揮はすごい!これだけでも,ウィーンに来る価値があった。演目は全てベートーベンで,プロメテウスの創造物序曲で始まり,オーケストラ音合わせ,交響曲第4番,休憩後に交響曲第3番,アンコールはトルコ行進曲。ヤルヴィの指揮は知的で明確かつ情熱的で、じらせた上での大胆なダイナミクスが非常に性的だ。彼と演奏できるオーケストラがうらやましい。最近見た指揮者と比べると,ゲルギエフはカリスマあるが胡散臭く,フィッシャーは誠実そうだがカリスマに劣るので、両方のいいところを取ったような、インテリのアイドルかもしれない。男のミュージシャンは燕尾服を着て、照明を受けてピカピカ輝く黒エナメルの靴を履いている。アジア系は確か一人しかいなかった。ニューヨークフィルとは違うなあ。 会場は貴族のサロンを大きくした感じで、オーケストラの雰囲気と合っている。


休憩中に、オーストリアの代表的なワイン、グリューナー・ヴェルトリーナーを飲む。コンサートの熱気と冷たくきりっとした白ワインがよく合う。2.5ユーロと劇場にしては格安。ヤルヴィは、交響曲第3番をロックスターのように始めた。早足で舞台に現れ、指揮台にたどり着いた瞬間に演奏が始まった。びっくりする発見がいくつかあった。交響曲第4番では、第1バイオリンと第2バイオリンが微妙にオーバーラップし、第3番第4楽章の弦楽4重奏はロックバンドのようだった。コンサートマスターは ヤルヴィに恋しているに違いないと思わせるほど、彼とヤルヴィの間の信頼感が目に見えた。オーケストラの各メンバーからベートーベンの音楽への愛情が感じられ、ヤルヴィの情熱と双方向に増幅しあっていた。


タクシーでホテルに戻り、近所を歩いた。アメリカの田舎で食べるようなピザとロング缶のビール。ブルックリンのウィリアムスバーグにありそうな、アート系本&CD&ビンテージ家具屋「Phil」をのぞく。ウィーンで最初に会った犬と飼い主の女の子にあいさつ。水道水が美味しいと思ったら,アルプスから来ていると聞き、納得。