ウィーンへの旅 3


10月12日(火)
ベートーベンの住んでいた建物などの古い建物を見ながら、再びナシュマルクトに向かう。


気楽にいろんな味が楽しめるナシュマルクト市場には、滞在中何度も来た。八百屋に肉屋、花屋、魚屋では蛸まるごと一匹が売られ、生牡蠣がワインと共に食べられる。様々な種類のチーズや、生ハムや野菜でチーズを巻いたりつめたりしたマリネやオリーブ、カラフルなスパイスやドライフルーツ、エスニック食材などありとあらゆる食料品に目移りするものの,値段は安くない。が,レストランやカフェは手頃。打ちっぱなしのおしゃれ系カフェで、スパイシーな中東風目玉焼きとピタパン、クライナー・ブラウナーの朝食。




ナシュマルクト向かいにある、オットー・ワーグナー設計のアパート(マジョリカハウス)。現代の感覚では悪趣味ぎりぎりの装飾過剰に見えるが,実物は説得力があり,細部も美しい。いまだにフルに人が住んでいるせいもあるかもしれない。ゴシックや新古典主義の教会や宮殿をたくさん見た後では、当初ユーゲントシュティル(アールヌーボー)が、日常生活の一部となることを目指していた通りシンプルに見える。芸術の変化や進化をその場で見ることができるのは、生きている美術館のようなウィーンならではだ。とはいえ個人的には、さらに進んで、内面が外に飛び出したエゴン・シーレの方が好きだ。



やはり近くのゼセッションで、クリムトベートーヴェン・フリーズを鑑賞。



地下鉄(U-Barn 4)でハイリゲンシュタットへ。自己申告制の地下鉄やバスの料金,地下鉄備え付けの雑誌、ナシュマルクトのカフェでは外の席に備え付けのブランケット,トイレの各個室に掃除ブラシ、とウィーンの人の良さや治安の良さを証明する例には事欠かない。


ベートーベンの住んだ家数軒。田園交響曲の作曲中に歩いたという、小川と森沿いの小道。裕福そうないい感じの家がたくさんあり,ユーゲントシュティルの門や塀もあった。ベートーベンの住んでいた当時は村だったそうだ。ブドウ園では,ブドウを枝から一粒もぎ取ってみる。取入れ中でなければ、一房全部盗みたかったほど美味しいブドウだった。教会のそばの公園には、森の中を今にも歩き出しそうなベートーベンの彫像がある。






ベートーベンが住んだといわれている家。同じ建物の中に記念館が2つあり、個人でやっている方が内容が充実。白にこげ茶のぶち猫と黒猫が中庭にいた。黒猫は、私たちを招いているように、裏庭に行く途中で振り向いた。裏庭には、さらに多くの野良猫がいて、ぶち猫と黒猫が少なくとも2匹ずついた。しかし、招待にもかかわらず、どの猫もそばに寄らせてはくれなかった。やはりハイリゲンシュタットの路地で黒猫を見たが、驚かせて逃げてしまった。これがウィーン旅行で見た猫のすべてである。一方、犬は、カフェ、バー、市場、本屋、マウスガードをつけて地下鉄内にも、いたるところにいた。公園でHundzoneという表示を見たが、どこでもドッグゾーンだ。



ワイングート・マイヤー アム プファープラッツ
療養中のベートーベンが1817年に住んでいた館をホイリゲにした場所。ホイリゲとは、ブドウ園が自分のところのワインと料理を出す酒場で、新鮮なワインがウィーンの街中より安く飲める。今年の新酒にはまだ早く、去年のを飲んだが,アルコール9%で飲みやすくさわやかな味で,一日歩き回った後は特に美味しかった。一本4.8 ユーロという安さにうれしくなり、2本買ったが,できれば箱ごと持って帰りたかった。料理はビュッフェ形式で、大きく切り分けた豚ばら肉の塊ローストは角煮に似た味だが,クリスピーで味の濃い部分と舌でとろけるマイルドな部分のコントラストが角煮よりはっきりしている。ロースト野菜とピーマンの肉詰めも美味。地下鉄に乗って帰るのでなければ、いくらでも飲めそうだ。





ウィーンに戻り、ベートーベンの葬式をした教会を偶然見つける。フロイト博物館のあるあたりを抜けて、ベートーベンがウィーンで最初に住んだアパートがあった建物へ。現在は,1階がカフェレストラン・ウィンターになっている。ウィーンで一番美味しいというガーリッククリームスープ(Knoblauchcremesuppe)は,評判どおりの味だった。メランジェコーヒーも有名店より美味しい。渋めのレトロ感あるカフェで,40年ほど前にオープンした。有能な中年ウェイターの英語は、イントネーションとアクセントがグルーチョ・マルクスにやや似ている。まじめに話しているだけでユーモラスに聞こえてしまう、得な英語だ。



シュテファン・ツヴァイクの「昨日の世界」を読み、輝かしい歴史を持つが、ドイツに比べて政治的野心も未来もないとのオーストリア世紀末評に納得。1942年の作品だが、現在のウィーンから受ける印象と同じだ。1910年から人口の増加が止まっている数字をレオポルド美術館で見て、二つの大戦があったとはいえ、そのころからの停滞を確認した。ウィーンは過去に誇りを持ち、政治や領土拡張よりも貴族的な芸術を大事にするが、そういった後ろ向きの態度は、やがて、コンテンポラリーな芸術を生み出さなくなってしまう。ベートーベンは非常に政治的な人間でもあった。