英国王のスピーチ/My Dog Tulip


英国王のスピーチKing’s Speech

エリザベス女王の父ジョージ6世コリン・ファース)は、父の国王と兄からのプレッシャーでどもりになったが、言語療法士ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)の導きによりラジオ演説を成功させて自信を持ち、立派な国王になる。国王としての優れた資質を持ちながらそれが抑圧され、そのために時折癇癪を爆発させるが、最終的に開花する役で、繊細さと強さ,激しさが魅力的に交じり合った役作りが素晴らしい。国王としての成長の過程には共感が持て、ナチスドイツに宣戦する際に国民に協力を呼び掛ける最後の演説は、堂々として感動的である。最初はつまづきながら、ゆっくりしゃべるが,内容が内容だけにかえって重要さが増す。演説の間に流れるベートーベンの交響曲第7番第2楽章の使い方もいかにも王道だが効果的で,厳粛で静かな導入部からより豊かで力強いドライブ感のあるハーモニーへと曲が進行していくのと,演説しながら調子が出てくるのが並行する。成長する主人公が実在の英国王で、レッスンの対象がスピーチという以外は、「マイ・フェア・レディ」(または「プリティ・ウーマン」)とバディ・ムービーが出会ったような内容で本質的には目新しくない。が、ファースとラッシュの演技の素晴らしさでぐいぐい引き込まれる。ラッシュは、王族だからといって特別扱いしない、真の平等主義者で自由なライオネルを魅力的に演じている。


My Dog Tulip

犬とその飼い主である中年男性との15年間の交流を描いた、大人のための手描きアニメ。1956年に出版されたJ.R.アッカリーの回想録に基づいている。独身のゲイであるアッカリーは、人間の中にいなかった「理想の友人」を、めすのジャーマン・シェパード、チューリップに見つけた。作品のトーンは、初めと終わりに引用されるアッカリーの言葉「お互いを愛せないイギリス人たちが犬に向かうのは当然である」「人間は数千年前に犬の保護下におかれ、犬たちは人間を飼い慣らそうとしてきたが、成功しなかったのではないだろうか」に象徴される。アッカリーは底なしの愛情をチューリップに注いでいるが、少なくとも世に多くいる犬猫好きを辟易させないのは、人間と犬の両方を距離を置いて冷静に見つめる目から生み出される機知とユーモアである。排せつ行為と交尾についての細部にわたる執拗なまでの描写も、飼い主の悩みの種であるそれらの行為のリアルさで飼い主たちの共感を得ると同時に、ベタな感傷の侵入を防いでいる。ニューヨーカー誌の漫画を思わせるレトロでとぼけた絵柄も,それらのリアルな描写を可能にするだけでなく,鋭いユーモアとの好対照をなしている。