ウディ・アレン新作, ジョージ・ハリスン, バーナード・ハーマン特集

Midnight In Paris

ウディ・アレンの新作は、1920年代のパリにあこがれる作家が当時にタイムスリップして、ヘミングウェイフィッツジェラルドなどの有名文化人に会う話。ウディ・アレンの芸術やアートシーンへの接し方は基本的にミーハーで表層的だ。ニューヨークを舞台にした作品では、その中でパーティーをしているスノッブの一員として自らを笑っていたが、パリではお目目キラキラのおのぼりさん状態。アメリカ人のヨーロッパコンプレックスを笑うこともない。文学好きの高校生なら誰でも知っているような有名文化人が脈絡なしに次々と現れ、それらの人物描写も薄っぺら。物語もご都合主義的で、75歳の童貞男のファンタジーを見ているようだ。主演のオーエン・ウィルソンは、ウディ・アレンが以前演じていたような監督の分身になりきっているが、そのために彼自身の魅力が薄れている。


Living in the Material World

マーティン・スコセッシ監督による、ジョージ・ハリスンについてのドキュメンタリー。同監督によるボブ・ディランのドキュメンタリー「No Direction Home」は、ディランをあまり知らない観客にも時代の空気がいきいきと伝わってくる作品だった。が、これは、特にビートルズ解散以降の後半は、ビートルズの中でも特にジョージ・ハリスンのファン限定向けのケーブルテレビ特別番組といった印象。実際、ケーブル局のHBOで放映された。ディランのドキュメンタリーと違って本人が亡くなっており、ハリスン夫人がプロデュースを手掛けているので、生きた真実の表現にはもともとハンデがあるのだが。それにしても、10代の頃のジョージのルックスは、正統派ロックの反逆のアイドルそのもので胸キュンという言葉がぴったり。リンゴ・スターはいつのビデオを見ても、全く時代を感じさせず、先月のポールの結婚式でも71歳とは思えない若々しさだ。でも、映画として一番面白いのは、関係者が亡くなってから作るポールについての作品だろう。


野良猫ロック セックス・ハンター

9月末から10月中旬まで開催されたニューヨーク映画祭での、日活100周年記念上映の一環。梶芽衣子は「さそり」が一番恰好良いけど、台詞も歌もあるこの作品はいろんな表情の生きいきした梶芽衣子が見られる。他には鈴木清順今村昌平神代辰巳作品など37作が上演され、宍戸錠の舞台挨拶も行われた。


バーナード・ハーマン特集@Film Forum

今年は、ヒッチコック作品で有名な映画作曲家バーナード・ハーマンの生誕100周年でもある。10月下旬から11月初めまで名画座Film Forumで、ハーマンが音楽を手がけた22作品が一挙上映された。以下は鑑賞した順。


Jane Eyreジェーン・エア


ジェーン・エアというよりは、「エドワード・ロチェスター」と呼びたくなるほど、ロチェスター役のオーソン・ウェルズの印象が強い。ウェルズはビデオで見るとうまい役者だが、大画面で見るとなんてイイ男!小さな画面では、ウェルズの魅力ははみ出してしまうのかもしれない。「サンセット大通り」の、「私はいまだにビッグ。小さくなったのは映画のほう(I am big. It's the pictures that got small.)」というグロリア・スワンソンの台詞を思い出した。


Citizen Kane市民ケーン

20年ほど前に確か日劇で見て以来、大画面では見ていなかった。映画のお手本として語られる傑作は、中年に入ってから見る方が味わい深い。二番目の妻のエピソードはやや長い気もしたが、見終わってからの余韻は深かった。「ジェーン・エア」との二本立てで、「ジェーン・エア」が上質なメロドラマなのに対し、これは深く身につまされる感じ。シリアスな場面ばかりでなく、劇場で見ると特にジョークがおかしい。


North by Northwest北北西に進路を取れ

ヒッチコック作品の男優はそれぞれ個性的で古くならない。グレース・ケリー以外の女優の取りかえがきくのと対照的だ。大人のユーモアとかっこよさが同居しているケイリー・グラントの個性は日本人にはないなあ。ハーマンの音楽も時間的には長くないが、印象的なテーマを効果的に使っている。


The Magnificent Ambersons偉大なるアンバーソン家の人々

オーソン・ウェルズ監督二作目だが、スタジオに編集権をうばわれ、大幅にカットされたため、一貫性に欠けた作品になっている。ウェルズが出演していたらそれも気にならなかったのだけど。作品全体も役者たちも不出来ではないが印象が薄い。


Hangover Square戦慄の調べ

40年代ノワールの隠れた名作。映画よりはテレビ「トワイライトゾーン」の演出で知られるジョン・ブラーム監督。ノイズを聞くと、無意識に殺人を犯してしまう若手作曲家が主人公で、彼が作曲中のピアノ協奏曲はもちろんハーマン作曲。作曲家の神経症的不安を反映した、かつダイナミックな音。しかし、この邦題、作品の意味的には問題ないけどすごいな。


Cape Fear 恐怖の岬

ロバート・ミッチャム主演のこの作品は、ここ数年映画館で何度か見ているがいつも新鮮。


Taxi Driverタクシー・ドライバー

私はもともとデ・ニーロがあまり好きでなく、大画面で見てもその意見は変わらなかった。でも、ジョディ・フォスターのカリスマはすごいぜ!デ・ニーロが鏡に向かって「You talkin’to me?」というセリフは、有名になりすぎていろんなところで引用やパロディーがされているので、笑ってしまうかなあと思ったらやっぱり笑ってしまった。他の観客も笑っていた。決め台詞になってしまったからだけでなく、もともと笑いを取るための台詞であることが分かった。他にもユーモアを意図したセリフが結構あった。金曜の夜のニューヨークで、ハーマン作のテーマ曲を聞きながらローアングルでイエローキャブに乗っている映像を見る幸せ。


Vertigoめまい

「サイコ」とこの作品は、ハーマン作のテーマが流れるオープニングクレジットだけですでに大満足する。これから見る映画のスリルを完璧に体現している音楽。「アメリカの良心」ジミー・スチュワートがサイコに変身するのを見る観客で、早い雪が降った週末の劇場は満員になった。愛するマデリンを失った元刑事が彼女とそっくりの女に会い、彼女を偏執狂的なまでにマデリンと全く同じ外見に仕立て上げようとする。マデリンが着ていたスーツをデパートで見つけて彼女に着せ、「今夜までに直しをしろ」と販売員に迫る場面は、あまりにも日常的なセリフが鬼気迫っていて最高だ。「眠れる美女」を書いた川端康成もびっくりのネクロフィリア愛。ハリウッド映画のお約束的な、波が打ち寄せ、感動的な音楽が流れる中で主人公とヒロインのキスシーンが繰り返されるが、それは作品のクライマックスではなく、エンディングは反クライマックス的であっと言わせる。ヒッチコックも意地悪だねー。


The Man Who Knew Too Much知りすぎていた男

「サイコ」「めまい」「裏窓」より出来が劣るが、軽い娯楽作品として楽しめた。ジミー・スチュワートも普通にとびきり魅力的。特に、劇場で他の観客と一緒に笑うのは楽しい。ハーマンがアーサー・ベンジャミンのカンタータを劇場で指揮する場面は作品の山場でもある。ドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」にハーマンの曲と、場面に応じて音楽が的確に使い分けられている。「ケ・セラ・セラ」は、最初に息子とリラックスして歌われ、山場では場面に応じて緊張感を持って歌われるコントラストが見事だが、劇場で見ると、そのコントラストから来るユーモアも感じられる。


Fahrenheit 451華氏451

はじめて見た時はブラッドベリ作品の映画作という印象が強く、今回はトリュフォー監督作の印象が強かった。「アメリカの夜」では、映画オタクのトリュフォーが抱く熱烈な映画への愛と、現実に対する映画の限界の双方が、温かい共感とユーモアを持って描かれていた。大人になった子供というトリュフォーの視点は、本の愛好者と本を焼く者たちを描くこの作品にも生きている。ファイアマン(消防士ではなく本を焼く人たち)出動の場面で繰り返されるテーマはドライブ感があって鳥肌もの。


The Bride Wore Black黒衣の花嫁
 
好きな作品の新プリントで楽しみにしていたが、ハーマン特集で傑作を立て続けに見た後では、欠点が目に付く。ハーマンの曲も前半はヒッチコック作品より多く使われ、それぞれの曲は素晴らしいのに、ヒッチ作品ほどの効果を挙げていない。超プロフェッショナルなヒッチコック信者のトリュフォー自身の作品の魅力の一部は、良くも悪くもその一見アマチュアらしさにあるのが面白い。オリジナルのポスターが劇場で売られていたので即購入。なんてクールなデザイン!名画座でクラシックを見て、そのポスターを買えるなんてなかなかあることじゃない。