アベンジャーズThe Avengers

神だってケンカをする。

アイアンマンやキャプテン・アメリカ、ハルクなどマーベルコミックのスーパーヒーローたちが、雷神ソーの義弟ロキによる地球侵略を阻止するために結集するという話だが、個性も生まれた時代も異なるヒーローたちが一つになるのは容易ではない。彼らを呼び集めたニック・フューリー長官の計画に対する猜疑心も生まれ、スーパーヒーローらしからぬスケールの小さい言い争いが起きる。キャプテン・アメリカはアイアンマンに向かって、自分のために戦っているお前はヒーローなんかじゃないと言い放ち、そうした人間たちの姿を見たソーは「人間って小さいな」と思わず口に出す。けれど、それは神の偉大さではなく、むしろ器の小ささを強調している。

最終的には、お約束通り団結して敵に立ち向かうわけだが、緊迫した状況に助けられて自然なチームワークが生まれていく過程はスリリングだ。各キャラクターの個性に合った、気の利いた会話重視の心理ドラマだけでなく、もちろんアクションも満載だ。1対1のコンバットからゲリラ的襲撃、マンハッタン・ミッドタウンでの全面戦争と拡大していくので、興奮が常に持続する。見慣れたニューヨークの摩天楼をバックに破壊しまくるハルクなど、それぞれ個性的なヒーローたちが登場することもあり、良くできたゴジラ映画を見ているように、アベンジャーズがいる世界という前提を疑いなく受け入れて楽しめる作品だ。

キャプテン・アメリカはキャプテンという名前だけあって、神であるソーにさえ役割分担の指示を下す。神の世界と人間の世界は並行して存在するが、少なくとも人間の世界を訪れた神は、「神々の黄昏」以降の神である。絶対的な力を持ちつつも、もはや絶対的な存在ではない。「スパイダーマン」以降の21世紀に撮られたスーパーヒーロー映画を見て思うのは、この種の映画(スパイダーマンのミュージカルも含む)が古き良きアメリカに対するノスタルジアと切り離せないことだ。少なくとも都市部のアメリカ人にとっては。

キャプテン・アメリカ第二次世界大戦中のプロパガンダとして生まれ、同時期にスーパーマンも枢軸国と戦うヒーローとして描かれている。40年代がスーパーヒーロー・コミックの最盛期だったという意見もある。これらのコミックは、アメリカが世界の良心的な自警団長だった60年代に成熟期を迎えた。これらの漫画自体は現在まで続いているが、ど真ん中の主流からは外れた存在となる。しかし、それと同時にアメリカ文化を象徴する重要なアイコンとなった。今ハリウッドでスーパーヒーロー映画を撮っているのは、それらの漫画で育った子供たちだ。

アメリカ人特に都市部のリベラルは多かれ少なかれ、アメリカが自他ともに認める世界の自警団だった時代はすでに過去のものだと認識している。しかし、彼らはスーパーヒーロー映画を見ながら、それらの漫画を読んで育った自分の少年時代を再訪するだけでなく、意識的か無意識的にかかわらず、当時のアメリカの姿をも投影している。一方、地方の保守派にとっては、古き良きアメリカはまだ健在かもしれない。したがって、現在形で21世紀のスーパーヒーロー映画を楽しむことができる。

もちろん、他のハリウッド映画同様に文化的背景を理解しなくても楽しめるように作ってあるので、世界中どこでもヒットしている。アメリカ国内外の誰が見ても楽しめる、最強の映画マーケティングというわけだ。ハリポタ映画の興行成績も塗り替えた「アベンジャーズ」は、コミックと映画という過去に最盛期を迎えた二つのジャンルを組み合わせて、ど真ん中主流のエンターテイメントを作り出した。マイナスとマイナスをたしてプラスを生み出す、マーケティングの魔法である。