誰もいない国


ピンターの「誰もいない国」をブロードウェイで見た。イアン・マッケランパトリック・スチュワートという、非常に優れた英国俳優のショウケースとして最高だった。特にマッケランは洒脱そのもの。ピンターの最高作ではなく、主演二人があまりにも達者なので、伝統芸能というかシュールな歌舞伎(=イギリスの舞台の伝統)を見ているような印象だった。台詞とその伝え方、表情と身ぶりの関係があまりにも完璧にユーモラスに演じられている。

特に素晴らしいのは、サー・マッケランの、ダンスのような足の動き。自由で洒脱に見える動きのために、全身を驚くべき抑制下に置き、バランスを自在に動かすことで、役柄の内面の動きを間髪おかず表現している。このように優れた役者にとっては、舞台の上で身長を変えることなど何でもないというのを目の当たりにした。

マッケランの役の前提は、スチュワートの権威に対するいかさま師だが、這いつくばることなく権威に取り入ろうとしている。したがって、スチュワートの三つ揃えオーダーメイドのスーツはその役に適切で、マッケランは一応ピンストライプだがサイズが合っておらず、古着屋で買った感満載。それでも恰好よく見えてしまうので、薄汚れてしまった白のスニーカーをダメ出しに持ってきた。足元にまでは気がまわらなかったという、胡散臭い役柄を表すと同時に、ダンスのような足の動きを表現する靴として最高の選択だ。マッケランと衣装デザイナー、演出家が一緒に決めていった過程が目に浮かぶようだ。細部に神は宿る、演劇ばんざいと言いたくなる。いつかマッケランにダンスの相手を一曲お願いするのが夢になった。
マッケランもスチュワートも70歳代だが元気いっぱいで、人間国宝を死ぬまでに見ておかなくてはという感は全くなく、現役バリバリだった。