Land of the Dead

'78年公開のDawn of the Dead(ゾンビ)は、ショッピングモールを舞台に、腹の皮一枚だけでくっついているようなこわさとおかしさだけでなく、物質主義への風刺が鋭い、ゾンビ映画の最高傑作で、今見ても古くない。その監督ジョージ・A・ロメロの、20年ぶりのゾンビ最新作はDawn of the Deadをしのぐ勢いの傑作だ!

いきなり説明なしにゾンビが世界中で人間をバリバリ食ってるイントロから、有無を言わせないテンポの速さで、ぐいぐいと作品に引き込まれる。夜一人では外を歩きたくないと思わせる、真に迫った説得力も、過去のゾンビ映画最高で、28 Days Laterなんて比べ物にならない。それに対応して、社会風刺もより差し迫っている。暴力に対する考察を性の部分からも行っているA History of Violenceに対し、笑いからアプローチしている分だけ深く身につまされる、ともいえ、アメリカの良心、と呼びたい作品。

ゾンビが世界中を徘徊し、Dawn of the Deadのショッピングモールを連想させる完全防御された高層タワーの中で、特権階級だけが楽園を享受している。他の人々は、その足元の、バリケードが築かれたスラムで生き延び、タワーに雇われたはみ出し者ライリーたちは、改造戦車に乗り、ゾンビと戦いつつ、タワーへの物資調達を行っている。ライリーの仲間チョロ(ジョン・レグイザモ)は、タワーの特権階級の汚い仕事のもみ消しも行っているが、トップのカウフマン(デニス・ホッパー)にタワー入りを拒否され、タワーに向けて爆弾を打ち込むことを宣言する。

ゾンビ・グランギニョールとでも呼びたい、影やガラスを効果的に使うなど、バリエーションとアイデアに満ちあふれた、ゾンビが人々を殺す方法と状況は、芸術の域に達したスプラッターで、ギャーと言いながらも笑わされる場面の連続。街路をゾンビらしく歩くお決まりのショットだけでなく、川を集団で渡っていく場面は、息をのむほど美しい。「死霊のはらわた」シリーズなど、Dawn of the Deadは多くのゾンビ映画に影響を与えたが、それらすべてを踏まえたうえで、ゾンビの帝王ロメロしかできない余裕の技の数々だ。ちなみに、ゾンビ映画のパロディーShaun of the Deadの脚本を書き、主演したサイモン・ペグも、ちょいゾンビ役で出ていた。憧れの監督の作品への出演は、まさに夢心地だったろう。

バリケードを乗り越えて、街に侵入しようとするゾンビを、目覚めたアメリカ人ととらえることも、イラクなどアメリカに虐げられている第3世界の人々(私は後者の見方)ととらえることも、どちらも可能で、このオープンさも優れた映画の条件だ。元給油係のゾンビの黒人リーダー、タンバリンを持ったミュージシャン、チアリーダーなど、ゾンビたちには、過去のロメロ作品のどれにもまして個性が与えられ、アメリカ人が痛い思いをしながら、ムスリム世界の人々を理解していこうとする態度と呼応している。

ジョン・レグイザモの役も、アメリカ国内の体制迎合派ととらえるも、サウジアラビアのような第3世界でのアメリカよりの国が、アメリカの搾取に耐えかねてのテロリスト転向、となぞらえることも可能だ。ジョン・レグイザモは超はまり役で、金持ちタワーには住めない普通の人々を救うライリー役のサイモン・ベイカーを完全に食っていた。この人に、たけしかジョン・ウーやくざ映画に出てもらいたいなあ。面構えも、ボディランゲージも、しゃべり方も、これぞチンピラだよ。


金持ちタワーのトップ、デニス・ホッパーは、ゾンビたちとレグイザモに向かい、You have no right(お前らに人権はない)と言い放つ。ブッシュだけでなく、代々のアメリカの支配者が第3世界の人々や一般大衆は、人間ではないと思ってきたように。給油ゾンビが、ホッパーとレグイザモと対決する場面は、特権階級も、それを利用してのし上がろうとする側も、どちらもくだらない、という強烈な風刺とカタルシスになっている。