「波止場」「マンマ・ローマ」「用心棒」「椿三十郎」

  

波止場 On the Waterfront

1950年代初期のブルックリン、レッドフックが舞台(撮影はNYの対岸、ニュージャージーのホボケン)で、港湾労働者たちで活気があり柄が悪い、当時の雰囲気がうかがえて興味深い。最近、再開発が始まったばかりで、柄が悪いままにさびれていた地区で、私がブルックリンに住んでいたとき、毎日地下鉄やアパートの屋上から眺めていた場所でもある。

レナード・バーンスタインの音楽とドラマ、様式化された振付が一体となって、歌のないミュージカルのようで「ウエストサイドストーリー」を思わせる乱闘場面も。エリア・カザン監督の社会派ドラマの名作(1954年作)といわれているが、今見ると、ドラマとしては力があるけれども、古臭い感もある。マーロン・ブランドが余り好きになれないせいかもしれない。デ・ニーロもそうなのだけど、自然に見せたメソッドアクティングが、かえって鼻につくのだ。

マンマ・ローマ Mamma Roma

アンナ・マニャーニ演じるマンマ・ローマの、圧倒的に力強い中年の美といい、どこか田舎くさいローマといい、ネオリアリズモ(今シーズンのフェラガモの広告でリバイバル?)的な外見と内容。田舎とローマを対比させつつも、無機質な新興団地とストーンヘンジのような岩の群れやコロセウムとの対比が面白く、このローマはどこか土臭く垢抜けない。

元娼婦で金をためて市場の果物売りになったマンマ・ローマは、息子には立派になって欲しい、と思っているが、息子は学校に行かず、不良とつるんだり、女に夢中になっている。息子役のエットレ・ガローフォロは、タランティーノを若くしたようなのに、愛嬌のある顔立ちが可愛い。男子、女子別々につるむ様子や、若さをもてあましてぶらぶらしてる雰囲気がすごく良く出てる。母と息子、元彼や同僚、客との関係も全て説得力があり、縦横しっかりした立体感がある。バイクや古いレコードなど小道具の使い方も、斬新ではないが実がある。パゾリーニは「ソドムの市」ぐらいしか見たことがなかったので、びっくりした。

親の心子知らず、という話は、親と子は別々の人格、という話を古い友人としていたばかりだったので、余計に身につまされた。両方の立場が分かるけど、マニャーニの存在感プラス自分が彼女の年の方に近くなってきたせいもあり、涙なしでは見れない。が、いくら思いがあれど、母親に教育がなくては子もきちんと育たない、というシビアな見方も提示されてるので、ベタベタではない。1962年作。

「用心棒」「椿三十郎

久々に二本まとめて見たら、やっぱり面白かった。見終わった後に、なんとも言えず爽快な気分になる。セルジオ・レオーネの「荒野の用心棒」も良いけど、おかしさではオリジナルにかなわないね。当時40になったばかりの三船敏郎(作品の中では「もうすぐ四十郎」と言ってる)も脂が乗り切っていて、にじみ出るユーモアと色気は、クリント・イーストウッドもかなわないカッコよさ。

まとめて見ると特に、脇役一人一人に愛着がわいて、程度は違えど、みんな自分の分身のような気がしてくる。「抜き身の刀」と称されている三十郎にいちばん共感するのだけれど、才能をひけらかさない「鞘に入っている本当にいい刀」である城代家老夫妻のように、いつかはなれるだろうか、と思ったり、「用心棒」の最後でキレてしまう藤原釜足も他人事とは思えない。押入れからつい出てきてしまう人質のお侍も、落語のようで何度見てもおかしい。金魚のフンのようにふるまう若者であったことはないけども。白黒だけど、椿の色が赤と白、ちゃんと見える。佐藤勝の軽快な音楽も、作品のおかしさを強調していて楽しい。ドラマ的には、三十郎が自分の才覚をフルに利用して、ずるがしこい大物ぶりで世渡りをするさまと、自分の策に足をとられる様子、どちらも現実味があり、三船敏郎がよりフィーチャーされている「用心棒」の方が好きだけど、「三十郎」の脇役たちも捨てがたい。1961年と1962年作。