「Attack of the 50 Foot Woman」「ピアニスト」「アレクサンダー戦記」

クソ映画を2本続けて見てしまった。。。

「Attack of the 50 Foot Woman」

自分の金目当てで結婚した夫に浮気され、不幸な結婚生活を送るアル中のテキサス(たぶん)女が、UFOにのった宇宙人から放射性物質を受け、巨人になる話。サスペンス、ギャグのタイミング、どれをとっても外しまくりで、チープすぎて笑えることもなく、単にひどい50年代Bムービー。

私の初ソロCDのタイトル、Attack of the 5 Foot Womanはこの映画からとったので、チープさゆえに笑えるチャーミングな作品であれば、と少しは期待したのだけれど残念。やっぱりエド・ウッドはすごいのかも。クリストファー・ゲストダリル・ハンナ主演で、リメイクのTV映画を撮っているが、オリジナルよりさらに評価が低いようだ。

レンタルビデオ屋の店員は、私がついAttack of the 5 Foot Womanある?と聞いたところ、ああ50 Footね、平然と流してくれた。私なら、目の前の5 Foot(約152㎝)の女がそんな間違いしたら、吹いちゃうよ。ありがとね。

「ピアニスト」 The Piano Teacher

カンヌでグランプリをとった2時間の作品だけど、1時間半のコメディにしたほうが面白かったのに。

変態ハネケの変態映画で、極めつけはイザベル・ユペール演じる音楽院の中年ピアノ教師エリカが、自分の部屋があるのに母親と同じベッドで寝ていることだ。それに比べたら、彼女がポルノビデオ屋のブースで、男たちの残したティッシュの匂いをかいで興奮したり、ドライブインシアターカップルの行為を覗きながらおしっこしたりするのなんか、何でもない。人の数ほどフェティッシュがあって当然だもの。母親との愛憎が一体となった関係や、発狂して死んだ父、ピアニストになるためだけの教育が、彼女の性嗜好を育てたらしいのは頭では分かるが、感情的に説得力がなくて、あの年で母ちゃんと同じベッドじゃ変態にもなるわい、というところからどこにも行かない。

登場人物から距離を描いた描き方だが、観客の感情移入も避けている。年下の恋人も、彼女からの縛って殴ってくれ、という手紙だけで、そんなに動揺するかぁ?ま、それが若いってことかもしれないけど、この人の同様ぶり、豹変振りも極端で、まあまあ落ち着いてお茶でも一服、と言いたくなる。ハネケの「ファニーゲーム」と「Cache」の緊張感は好きだが、これは笑い飛ばしたら面白くなるのにと思いつつも、笑えない。笑いには距離感も必要だけど、それとも違う。恋人君のルックスもいかにも好青年、で好きになれなーい。マコーリー・カルキンがマイケル・ジャクソンと友達にならないで大きくなったような感じで、好青年の豹変、という狙いにはぴったりなんだけど。

ドラマ的にはクソだけど、音楽の使い方は、音楽にこだわりあるハネケ作品らしく面白かった。エリカの弾く知的で厳しく力強いピアノ、洗練されていないが才能がうかがえる恋人君の演奏、弟子の弾くおどおどした感じの演奏、と各人物にあった演奏で、それぞれの演奏がドラマを引っ張っていくまでにはいたらないのが残念。シューベルトの歌曲「冬の旅」の中のIm Dorfe(村の中で)が繰り返しでてきて、エリカが弟子の伴奏を指導する。声楽経験者にとって「冬の旅」は避けて通れない歌曲集で、この曲ではないけど私も歌ったことがある。下手な伴奏の歌いにくさも良く出てて面白かった。

服装とか外見も、中年に近い私はじろじろ見ちゃった。ある程度年とってシンプルに装うのは、自信か勇気か知性の少なくともどれかがなければ無理だ。エリカの身に着けるのはシンプルな服だが、意志の強さと知性、才能で、見る目のある人が見ればきれいに見える。恋人君は前身黒だけど、若くてルックスが良ければ何を着ても似合い、研ぎ澄まされたシンプルさではない。私は、若い男の子の前身黒ずくめは、お金がかかっていればいるほどホストみたいに見えて好きじゃない。貧乏なロック青年だったらいいけどね。

イザベル・ユパートの微妙な猫背かげんも、いかにも中年くさくてうまい。年は、後姿と手(ここではピアノを弾く手)に一番出るのよね。あごの線、口まわりも。自分はまだいけてる、と思ったり、やばいな、と思ったり。他の映画より、年をとるという事を容赦なく突きつけてくるのは間違いない。

「アレクサンダー戦記」

荒俣宏原作のアニメ。「エル・トポ」のホドロフスキーが「デューン」を撮ったら、こんな感じと、ミュージシャン仲間にすすめられて見たが、がっかり。アメコミ調のデザインと、ジャパニメーションの動きがしっくりこず、物語を語るのに必要なスケールの大きさや、アレキサンダーのスピード感が感じられない。音楽も適当で安っぽい。

アレクサンダー大王はゲイ要素が強いバイセクシュアルだったらしいが、局部を強調した衣装のオンパレードで、目が慣れるまでに時間がかかる。男女問わず、おっぱいが沢山出てくる作品でもある。プラトンアリストテレスピタゴラスディオゲネスらと、アレクサンダーとの関わりを通しての彼らの世界観が描かれるはずだが、哲学的な言葉を使った文がイントロで朗読されるだけで、いつまでたっても世界に入っていかず、アクションの飾りとしてしか使われていなかった。