「徳川女刑罰史」「テオレマ」「黒い罠」

  


「徳川女刑罰史」

石井輝男監督なので、超エロ&ゴアを期待したら、期待はずれだった。1968年、東映の最大ヒット作だが、この時代が許す限界なのかなあ。3つのエピソードで構成され、だんだん良くなるとはいえ、最後のエピソードの台詞にもあるような、拷問されている女に一瞬現われる歓喜の表情、が描かれてない。これが表現されてたら、ゴア度は大したことなくても見ごたえあったのに。レズ場面とかもあるけど、尼僧どじょう責め(!)以外は、エロ度も他の石井作品と比べて大したことない。

最初の二つのエピソードは、拷問を見せるための手段とはいえ、登場人物がバカすぎ平面的すぎる。三番目は、江戸一の刺青師が最高の作品を完成させるため、拷問を見せてくれ、と奉行所に頼む話で、話の運びと行動の動機は、いちばん納得がいくし、人物造形もいちばんまとも。マゾ芸術である刺青にいちばん映えるのは、拷問の絵柄なんだな、と改めて納得した。

「テオレマ」Teorema

テレンス・スタンプが、ブルジョワ夫妻と息子、娘、メイドまで、性別を問わず誘惑していく。というか、彼は何もしてないのに、それぞれが彼に吸い寄せられるように誘惑されにいく。スタンプは、きれいな顔、若いのに年齢不詳のようでもあり、感情が見えない悪魔的な誘惑者としてぴったり。来たときと同様に、去るのも突然で、家族それぞれに対し、今まで気づかなかった心の空虚さや孤独、お互いが家族として機能していないことを、無残に暴いていく。

一つ一つの誘惑は割と陳腐なのだけど、並列して描かれると、誘惑され方・別れ方・その後が、それぞれ違っていて面白い。各エピソードの区切りごとに砂漠が現れ、それぞれの孤独や不毛、家族崩壊、青年の中の空虚さを象徴している。青年が誰なのか、最後まで明かされないのも、不条理感を強調。男同士の愛の描かれ方は、寝る前に向き合って服を脱いだり、年齢差を超えたボクシングもどきのじゃれ合い、とか、少女マンガみたいで懐かしいなあ。萩尾望都が部分的に漫画化したら、はまると思う。

セルジオ・レオーネ作品からは想像もつかない、モリコーネの現代音楽的な音も面白い。お決まりとはいえ、モーツァルトのレクイエムも、不吉なサスペンス感を盛り上げ、現代音楽的な音との対比も興味深い。

これも偶然1968年作品。パゾリーニ監督。シルバーナ・マンガーノの能面のような美貌も素敵。彼女が着てたリボン付きブラウススーツは今いけてるかも。

黒い罠」 Touch of Evil

流れるようなリズムのオープニングの長まわし、サスペンスを盛り上げる陰と照明の使い方、スリルと好対照なヘンリー・マンシーニの軽めのジャズなど見どころはたくさんあれど、やっぱりいちばんインパクトがあるのはオーソン・ウェルズの、殆ど同情の余地もない悪役ぶり。

メキシコとアメリカの国境の街で起きた爆弾事件を捜査する、メキシコ人への偏見をあからさまに出す警官役で、メキシコ人容疑者に「英語しゃべれ!」とビンタを食らわしたのには、いくら1958年の作品とはいえ、え?と巻き戻してしまったほど衝撃的だった。国境と移民の問題は古くなるどころか、ますます大きくなる一方で、最近も移民法改正への大きな抗議デモが各地で行われたばかりだ。私も移民の端くれだし、グリーンカードの面接の待合室では、スペイン語や中国語の通訳同伴で来ている人たちも見た。翻訳の仕事をしていようと、母国語の方が得意なのは当たり前で、自分が日本語禁止、と殴られたら、と想像し、なかなか物語に戻っていけなかったくらい腹が立った。アメリカ経済は合法、非合法の移民に支えられていて、母国語をしゃべれなくても生活できている人がたくさんいるのに。普通は映画ぐらいでこんなに腹が立たないから、やっぱりオーソン・ウェルズは名優なのだろう。自分に自信がないと、徹底した悪役も演じられないだろうし。

マレーネ・ディートリッヒもジプシーの占い役で出演しててカッコいい。この時ウェルズと付き合ってたかどうかは知らないけど、昔の男を語るような最後の場面での語り口も、大人で素敵。