スーパーマン・リターンズ Superman Returns

 

宇宙で一番孤独なスーパーヒーローが戻ってきた。今まで作られたスーパーヒーロー映画の中で最も大人の作品であり、観客の心を操る技術と計算に非常に長け、機知に富んだ、感動的な必見作だ(私は少なくとも3回泣いた)。 監督は「X-Men」「ユージュアル・サスペクツ」のブライアン・シンガー

オープニングの、赤ちゃんのスーパーマンが体験した宇宙旅行のCG場面から、ぐいぐい引き込まれる。ジョン・ウィリアムズのテーマと共に、オリジナル映画の場面を忠実に再現・アップグレードしている。

その次の並行する場面から、注意深い計算はすでに明らかだ。スーパーマンの宿敵レックス・ルーサー(ケビン・スペイシー)は死にかけている老婦人から遺産をだまし取る。もう一人の老婦人はスーパーマンの地球の母で、初めて来た時と同じ方法で地球に戻ってきた、スーパーマン(ブランドン・ルース)を見つける。

ルーサーは、クリプトナイトの小さなかけらで、精巧なプラモデルの街を破壊し、地球の将来を示す。 プラモデルの街、という独創的なアイデアは(ジーン・ハックマンほどユーモラスではないものの)ケビン・スペイシーを興味深い悪役として見せてもいる。

スーパーマン/クラーク・ケントはデイリー・プラネット紙に復職する。彼の愛するロイス・レイン(ケイト・ボズワース)はスペースシャトル打ち上げの取材を、シャトルとドッキングした飛行機の中から行っているが、事故が起こり、スーパーマンが救助に向かう。スペースシャトルは1970年代半ばからNASA のプログラムの中心であり、スーパーマンの映画公開(1978年)と同時期だ。これら70年代と、同時多発テロを否応なく思わせる飛行機事故を巧妙に組み合わせ、2006年にリメイクする意味を与えている。飛行機は野球場に無事着陸し、スーパーマンが野球同様に、アメリカで生まれ、世界で愛されている存在だと示している。しかし、特定の政治的スタンスを避け、「真実と正義のために戦う」とは言うが 「アメリカン・ウェイのために」という箇所は省いている。

ロマンスと孤独もふんだんに描かれている。スーパーマンはロイスと空中を飛ぶが、長くはいられない、とロイスがしゃべっている間に、静かに空に滑り出す。飛ぼう!ブン!と飛び出すより、ロマンティックでエロティックな大人の飛行だ。スーパーマンは、ロイスと一緒になれないと分かっているが、せめて一緒に飛ぶことで、彼の孤独の深さを大切な人には分かってほしかったのだ。スーパーマンが宇宙一孤独な男であるのは間違いない。彼の星最後の生き残りであり、ロイスは彼がいない間に結婚し、子供までいる。空中から同時に違う人間の声を聞き分ける能力は、そのまま彼の孤独を示してもいる(落ち込んだ時に聞こえてくる、地下鉄や人ごみの音のようだ)。が、スパイダーマンと違い、スーパーマンには、愛する人か世界か、という選択肢はない。ノイズの代わりに、望む望まないにかかわらず、一人ひとりの苦しみが聞こえ、共感してしまうのだから。スーパーヒーロー中最も優れた能力は、彼の孤独の深さに比例する。

スペクタクルとアクション不足という批判もあるが、より多くのドラマと感情がある。2時間半は少々長いものの、多すぎるアクションによってクライマックスまでにその衝撃が失われてしまっている他のハリウッドの超大作に比べ、アクション場面にわくわくさせられる。

パーカー・ポージーは彼女の風変わりな魅力によって、ルーサーのガールフレンドだがスーパーマンにも心ひかれるキティ役に人間味を与えている。自動車事故の場面は、その風変わりさを発揮しすぎているが。

ブランドン・ルースはスーパーマンクラーク・ケント以外の役を演じているのを想像できないので、はまり役といえるだろう。 ケイト・ボズワースはスーパーマンへの愛憎を通して、母、妻、恋人、ジャーナリストという役割に存在する、矛盾した感情を描いている。

これを書きながらも、スーパーマンの孤独を考えると涙が出てきそうだ。
鳥か? 飛行機か?
いや、宇宙で最も孤独な男が、空高く飛んでいる。