Iraq in Fragments イラク・イン・フラグメンツ

2003年2月から2005年4月までの、アメリカ侵攻後のイラクの人々を、詩的で美しい映像で描いたドキュメンタリーだ。最初にアメリカ侵攻前のバグダッドの映像。カラフルで動きにあふれた人々と乗り物、水槽の金魚の反射も鮮やかだ。侵攻後は、黄土色一色の寂れた街並みで、対照的な姿にガツンと衝撃を受ける。その衝撃を超える場面は他になく、「断片的なイラク」という題名どおり答えも出していない。イラクという国そのものの、絶望とも希望ともくくれない断片の集まりだが、最初に頭を殴られたからか、現実の姿として素直に頭に入っていく。目新しくはないブッシュ・アメリカ批判が展開されるが、イラクの風景を見ながらイラクの人から聞くのでは説得力が違う。ドキュメンタリーの強さが感じられ、この間の中間選挙で、なぜブッシュと共和党が負けたかの、生きた明確な答えとなっている。

第一部は、バグダッドスンニー派の居住区に住む、小学一年を何度もやり直している修理工見習いの11歳の少年の視点から描かれる。登場する大人たちは、他のエピソードに比べ、宗教的な度合いが薄いように見える。とはいえ、小学校にはイスラム教の授業があり、生活と政治への宗教への密着度を肌で感じる。大人たちは、タバコを吸いながら政治の話をする。「アメリカが関心あるのは石油だけ、石油のあるところを軍隊が守っている」「誰が治めようと石油は金持ちの手にしか入らないんだから、石油を持って立ち去ってくれ」「戦車で来たら、敵とみなすしかないのに、ブッシュは花束を持って我々が出迎える、と思っている」など。親方はつらく当たるが親代わりのような存在だ、と少年は思う。が、やがてただ少年をいじめていることがわかり、イラクの人々を長年苦しめてきた独裁者の姿と重なる。

第二部は「(アメリカに教えてもらわなくても)我々はデモクラシーが何であるか知っている」と語る、イラク南部のシーア派の若い聖職者の視点から。外部からは狂信的とも見える宗教的な集まりでは、若者が鎖で自らの肩を叩き、熱狂的なリズムを生み出す。酒を市場で売った疑いのある者を打ちすえ、拘束する。目隠しされた容疑者は、アメリカはサダムを追放して、100人のサダムと置き換えた、と憤る。「レクイエム・フォー・ドリーム」を思わせるジャンプカット、スピードを変化させた映像が緊張感を生み出している。

第三部は、宗教と政治の平和な融合という理想から、一番近いように見えるクルド人の姿が牧歌的に描かれる。選挙の混乱はあるが、空にたなびく煙は爆弾によるものではなく、レンガ造りのかまどだ。イラクでの女性の地位を反映して、女性の視点でのエピソードはなく、登場する女性は小学校の先生か拘束された商人の妻だけだが、女性が投票する姿も映された。数年後のイラクの断片には、女性の姿ももっと見えるようになっているだろうか。