Perfume 香水―ある人殺しの物語


18世紀。パリ一の嗅覚を持つ青年グルヌイユ(ベン・ウィショー)は孤児院で育ち、皮なめし職人に売られ、毎日厳しい肉体労働に従事している。ある日、配達の途中にすれ違った処女の芳香を永遠に保存したいという思いに取り付かれ、イタリア人調香師(ダスティン・ホフマン)の元で修行を始め、天才調香師としての才能を現していく。「ラン・ローラ・ラン」のトム・ティクヴァ監督による、同名のベストセラー小説の映画化。
#ネタばれあり:原作を読んでない方は、最後から2番目の段落は飛ばしてください。

グルヌイユが求める究極の香水作りには複数の処女の香りが必要なため、青年は連続殺人を犯していくが、彼の情熱を理解してくれる女友達や恋人がいれば、犯さないですんだ殺人であり、見ていて不愉快にさせられる。が、その居心地の悪さは、人間離れした嗅覚を持ったがために孤立する青年の、異端者の孤独でもある。彼自身には皮肉なことに体臭がなく、他者から認識される人格もないゆえに、連続殺人も成功してしまうのだ。

私自身は、とれたてのオーガニック野菜や果物の匂いを楽しみたくて、香水をつけなくなってから久しいが、主人公の香水作りへの情熱は十分に伝わってくる。2つの場面で香水の香りを確かに感じた! バラの香りと、香水の都、南欧のグラースにある香水製造所に運ばれた、黄色のきんもくせいのような花びらの香り。近くの観客の香水か、心理的な嗅覚が働いたか、その両方だとは思うが。

孤立する青年は、他者とつながる手段として究極の香水作りを選んだが、皮肉は重なる。彼の香水に人々は恍惚とし、近くの人々とところかまわずセックスし始める(この辺のコメディとシリアスのバランスは完璧ではなく、男女と女同士のからみだけでなく、男同士もあった方がより開放感がある)が、彼自身は愛を交わす相手がいない。香水は愛そのものではなく、後を引く呪縛という力である、という(前の彼女と同じ香水に反応してしまう男たちのように)古典的な定義が描かれているが、その結論に至るまでの過程は他にないユニークさだ。

主演のウィショーのグランジさには2時間20分以上の間にうんざりしてくるが、ラストでその汚さが生きてくる。美しい赤毛の愛娘が殺人の犠牲になるのでは、と心配する父親役アラン・リックマンの演技は、彼としては平均点で、不可思議な殺人鬼の心理を、賛成はしないものの彼だけが理解しているという役柄は適役。