The Cats of Mirikitani ミリキタニの猫

 

2001年冬、ソーホーに住むドキュメンタリー映画監督/エディターのリンダ・ハッテンドーフは、近所のデリの軒先に住み、猫の絵を描き続けるホームレスの老人に話しかける。二人が親しくなるにつれ、絵に表現された老人のつらい過去が少しずつ明かされ、カメラはそれを自然に追っていく。

ジミー・ツトム・ミリキタニ1920年サクラメントで生まれ、広島で育った日系アメリカ人だ。日本での徴兵を逃れ、画家としてのキャリアを追及するため、アメリカに戻るが、太平洋戦争が勃発し、強制収容所に抑留される。家族と別れ別れになり、米国市民権も放棄させられた。その後、ニューヨークでコックとして働くが、職を失い、絵を売りながら路上生活を始める。

2001年9月11日夜、空は黒く、人気のない路上にミリキタニの咳が響く。リンダは画家の体を心配し、自分のアパートに引き取る。が、アパートは小さく、彼女は老人の社会保障給付金や住む場所、生き別れになった家族について調べ始める。実の親のように夜の外出を心配し、とがめるミリキタニと、それをわずらわしく思うリンダ。口論する二人の間で、リンダの猫が心配そうに鳴き続ける。

同時多発テロと、それに続くアラブ系への差別やアフガン爆撃に関するTVを見ながら、ミリキタニは”same old history. Make art, not war(歴史は繰り返される。戦争でなく芸術を)”とつぶやく。彼の英語はブロークンだが、それだけに深く響く。 
雨の日も雪の日も描き続けるミリキタニの制作の動機は、抑留キャンプでの体験から来る怒りと悲しみだ。劣悪な環境の中で日系人が死んでいくのを目撃し、「日本の猫を描いてよ」とせがんだ少年も死んだ。

作りは小さいが、内容は大きく、笑って泣いて、心に大きな余韻を与えてくれる作品だ。映画監督の押し付けがましくない親切から生まれた主題はタイムリーで、優れたドキュメンタリーに欠かせない要素を自然に形作っている。二人の友情は観客をハッピーにし、抑留キャンプへの再訪は、怒りとの決別による癒しの感動をもたらす。が、何よりもいちばん元気を与えてくれるのは、80歳(制作当時)とは思えないミリキタニの多作ぶりと、その作品の素晴らしさだ(壁いっぱいに張られた作品を見ている限りでは、制作動機がなくなって急にぼけたりすることもなさそうだ)。スランプ気味の芸術家に、まじめに生きている人に、年をとることについて真剣に考えている全ての人々に、見てほしい作品だ。