Grindhouse グラインドハウス

タランティーノロバート・ロドリゲスの、公開されたばかりの二本立て「グラインドハウス」を見てきた。家族で祝うイースターの週末だったせいか、興行成績は家族で見られる「Blades of Glory 」「Meet the Robinsons」 などに次ぐ4位、と予想より低い結果に終わった。大スターが出ていないせいもあってか、「キル・ビル」や「シン・シティ」よりもはるかに低い数字だった。ダウンタウンの映画館はほぼ一時間ごとの上演で満席だったが、切符の売れ行きは例えば「スパイダーマン」が公開された最初の週末には及ばない。日曜4時半にボックスオフィスに行き、5時の回はさすがに売り切れていたものの、7時の回を買うことができた。大ヒット作の場合は、夜中まで売り切れのこともざらなのだが。

グラインドハウス」とは、70年代に多く制作され、セックスと暴力と血糊を売り物にしたexploitationと呼ばれる低予算ホラーやアクション映画、またはその手の映画が上演された映画館を指す。タランティーノ&ロドリゲスがそれらのBムービーを骨の髄まで愛していることは過去の作品からも明白だが、この新作では、シネコン映画が全盛の現在に、グラインドハウス映画へのあふれるばかりのオマージュを捧げている。

最初に上演されるロドリゲスの「Planet Terror」はゾンビ物、タランティーノの「Death Proof」はスラッシャー/カーチェイス物。画面にはノイズが走り、焦点も常に合っているわけではなく、カットが唐突だったり、音が不完全だったりする。リールが紛失しているという設定で、セックス場面が飛ばされているのも笑いを呼ぶ。二作品の間には「ナチスSS狼女」など、実際には絶対ありえないようなBムービーの予告編数編が流される。

前置きが長くなったが、全体的には期待はずれだった。「Planet Terror」はストレートな作りのBムービーで、その不完全さも含め、正統派Bムービー(っていうのも変な言い方だが)として、大いに楽しめる。批評家にはおおむね評判が悪いようだが、観客の反応はこちらの方が良かった。ストリッパーのチェリー(ローズ・マッゴーワン)が元彼と一緒にゾンビと戦う話だが、彼女はゾンビの襲撃により片足を失い、足にマシンガンをはめ込んで、踊りながら戦う!

「Death Proof」はグラインドハウス映画を下敷きにしながら、それを超えた不条理の領域に足を踏み入れた作品で、その逸脱を楽しめるかどうかが好き嫌いの別れるところだと思う。観客の反応からも分かるとおり、「Planet Terror」は一般向けで、観客の笑い声もより大きかった。「Death Proof」は、よりハードコアなBムービーおたく野郎向けと言える。もちろん、どちらの作品にも両方の要素があるので、どちらがより前面に出ているか、という違いだ。前者では、上に述べた画面ノイズが全編を通して存在するのに対し、後者はノイズありからスタートして、ある時点でクリアな画面になり、またノイズに戻るのも、タランティーノの確信犯的な逸脱を示している。批評家にはタランティーノの創造的な冒険が評価され、グラインドハウス映画そのものを期待していた観客としては期待はずれ、といったところ。

キル・ビル」でユマ・サーマンのスタントを務めたゾーイ・ベルロザリオ・ドーソンとトレイシー・トムスの三人娘がドライブ中に、カー・スタントマン(カート・ラッセル)に嫌がらせをされ、狂ったカーチェイスが始まる。一番スリリングでリアルなスタントはゾーイによって演じられ、彼女が優秀なスタントマンだと分かっていても、普通のハリウッド映画の域を超えた長さでスリルが持続する行き過ぎに、不快感を感じてしまった。グラインドハウス映画というのは、exploitation映画の一種でもあり、Exploitationは利用、搾取といった意味だが、タランティーノがこのジャンルを悪用しているようにも感じられた。タランティーノの野心は評価でき、影響を受けた作品のスタイルと精神を下敷きに新しいものを作る、という点では「キル・ビル」よりも成功していると思うが、どうも生理的に駄目だった。同行した夫のように、理由なき徹底的な暴力を不条理な笑いのエンターテイメントとして、心から楽しんでいる人もいたが。私は、精神的肉体的に痛いB級ホラーは好きだが、長いカーチェイスはどうも苦手のようだ。車の美しさは分かるけど、自分で運転しないし、乗り物酔いしやすいのだ。

女3人が男をいたぶる、という設定はラス・メイヤーを連想させるが、メイヤーの域を越え、復讐の域を超えたいじめ方で、「Faster Pussycat Kill! Kill!」の女たちには感情移入できても、この女たちにはあまり共感できない。ロザリオ・ドーソンはいつも通りとてもキュートだが、男がレズビアン(という設定ではないが)ポルノを見るような視点でのみ描かれている気もするし。

女の描きかたといい、車といい、男のファンタジー度を測るリトマス試験紙のような作品だ。私は、女にしては、こんなブログを書いてることから分かるとおり、おたく度が強く、性格も夫の方がよっぽど繊細だ。うちの夫婦だけでなく、結婚している人なら誰でも、日常生活においては女の方が強い、ということに同感してもらえるはずだ。が、ファンタジーにおいては、男の方が暴力への許容度が究極的には大きく、暴力を求める心もより強いことを感じさせられた。ちなみに夫は、私の好きな痛い系ホラーは苦手だ。

話の展開と関係ない会話が延々と続くのは、タランティーノのトレードマークであり、アクションで画面を埋める予算がない、グラインドハウス映画の特徴でもある。ここでも、女たちの会話の雰囲気は楽しめるが、サミュエル・L・ジャクソンとトラボルタの間の無駄話の楽しさには、比べるのは酷とはいえ、遠く及ばない。大スターを正面だって起用しないのも「グラインドハウス」映画へのオマージュの一部ではあるのだが(ブルース・ウィルスは「Planet Terror」のカメオで好演、タランティーノは両作品に端役で出演している)。長々とおたく的な分析をしてしまったが、本当はただ一言、「楽しかった!」と叫びたかったのになあ。