シッコSicko


マイケル・ムーアから電話があった。
“「シッコ」は私の作品中、最も優れた作品の内の一つです。この国の医療制度が多くのアメリカ人に苦難を与え、大きな改革が必要とされていることが、この映画を見れば分かるでしょう。どうぞ見に来てください”という録音メッセージだった。

先進国であるはずのアメリカには国民健康保険がなく、健康保険加入者の殆どは勤務先を通して、HMOと呼ばれる保険会社のプログラムに加入している。ムーアの新作は最初に、アメリカに5千万人いる無保険の人々の悲惨な例を描く。が、作品の本題は、それらの人々ではなく、保険料を払っていながらも保険が適応されなかった加入者たちの悲劇を通して、保険制度自体に問題がある、と訴えることだ。

不都合な真実」のように、見ただけで環境問題に貢献した気になれるフィールグッドな作品ではなく、問題提起だけに終わっているが(それが欠点でも長所でもある)それだけにインパクトはより強烈だ。電球をエコ仕様に替えたり、コンピューター画面を節電モードにしたりするだけで、満足してしまうことがない、パンクな映画である。私たち夫婦は映画について議論しながらケンカになったほどだ。不愉快なまでのインパクトのさじ加減が正解だったかは、これからのアメリカ社会の動きを見ていくしかないだろう。

ムーアの過去の作品同様、無知でイノセントな普通のアメリカ人を演じるアプローチも入っているが、彼自身が前面に出すぎて反感を買っていたこともあり、本人があまり出てこないのは正解だ。ユーモアも他の作品より少ない分、健康保健制度の犠牲者の生の声が涙をさそう。保険会社が医者に給料を払い、治療法や投薬を管理しているため、ガン治療に効くと証明された薬でも、保険会社がノーと言えば投薬すらできない。

完璧な作品ではない。911救助活動の後遺症に悩むレスキューワーカーに、キューバグアンタナモ基地で治療を受けさせるため、ボートで潜入しようとするくだりなど、笑いを取るためと彼の主張を補強するためのスタントであることが見え見えで、情報選択が偏った印象を受ける。一般のアメリカ人がグアンタナモで治療を受けられるとも思えない。ムーアの許でインターン経験のある、音楽ジャーナリストの友人は、一緒に働く人の気持ちを思いやらないムーアの人格よりも、情報選択偏向の方が耐えられない、と言っていた(「ロジャー&ミー」での最後のアポは取れていた、というのは公然の秘密、と彼は語った)。

カナダ、イギリス、フランスなど医療費が無料の国の描写も少し削り、その分医薬品会社などを含めたアメリカ医療制度の全体像をもう少し明確にした方が、問題解決に向けて考えやすかったが、観客の考える力を信用している、とも言える。他国で国民健康保険が維持できる理由についても、西欧諸国についてすぐ思い浮かぶのは消費税の高さだが、具体的には説明されていない。他国の素晴らしい例を挙げておきながら、アメリカの問題のみを示すので、カナダやEUに移住した方がいいような、制作意図と違った間違った印象を与える。

それでも、作られるべき作品だった、と私は思う。その理由の第一は、映画の中でも明確にされ、また日本人としても当然な意見だが、国民健康保険がないアメリカの方がおかしい、という点。第二は、極端な例を取捨選択しているにしても、描かれている悲劇は事実である、と自分自身や知人の例から判断できることだ。つまり、主張もそれを裏付ける事実も正しい。健康保険は、病気になったら右も左もなく、すぐに直接響いてくる問題だけに、作品のインパクトは「華氏911」よりも強い。

私自身の例では、保険がきくセラピストに新規で見てもらおうとメッセージを残しても、10中8,9は返事が返ってこず、返事をくれるのは概してヤブ。緊急病院では緊急の度合いによって待たされるので、3時間待った。友人の母の薬代は月に230ドルで、全く同じ薬が日本では約2000円。イギリスに出産に帰ったイギリス人の知人もいるし、双子を出産したベルギー出身の近所の女性によると、ベルギーでは家事と育児の手伝いをしてくれるナニーが、半年間無料で政府から派遣される。働いていないと保険もないのでリタイアできない知り合いの高齢者や、保険のためにスターバックスで働く若者。おそらく私はNYに永住することになりそうだが、アメリカに帰化するつもりはない大きな理由の一つが保険制度である。

また、何度も言われていることだが、ハワード・ジンノーム・チョムスキーの著作が、いかに比較的公正と見なされていても、それらを読むのはリベラルな思想にあらかじめ関心がある人たちで、大多数のアメリカ人には無縁である。ムーアの手法はリベラルでないアメリカ人の関心を呼ぶためであり、左翼版フォックスニュース的な情報選択偏向は、右側メディアのカウンターパートでしかない。

ニクソンの時代に始まったHMO制度は当初から、加入者でなく保険会社の利益を目的としており、政府はSocialized medicineという言葉で、国民健康保険を民主主義の敵と見なすプロバガンダを行ってきた。国民健康保険のある国の人間から見たら、まさに笑止である。ヨーロッパやカナダが天国というわけではないが、アメリカの方が日常生活により商業主義が入り込んでしまい、個人がないがしろにされている度合いが大きいのが、ミュージシャンとしての経験からも実感できる。先進国ですらないキューバの医療制度がアメリカより優れている例を最後に持ってきたのは、主義主張にかかわらず、人間誰しも病気になるのだ、ということを言いたかったからに他ならない。