Harry Potter and the Order of the Phoenixハリー・ポッターと不死鳥の騎士団


映画5作目にして初めて、私が大好きなスネイプのまともな場面に満足しただけでなく、作品全体も、一番映画と呼べるものに近づいている。冗長すぎる原作は、単純化されているものの、つじつまが合うよう巧みに編集され、読者まで不快にするハリーの苛立ちの長すぎる描写も、エッセンスは残しつつ殆どカットされて、もう可愛くないダニエル・ラドクリフが必要以上にうっとうしくないようにしてある。球技関係など本筋に関係ない部分は大幅に削りつつも、それぞれの登場人物の本質をつかみ、描き分けている。アクションは最後にむけての前哨戦といった感があるが、前作よりは見ごたえがある。

この作品から政治スリラーの要素が出てきて、ハリー&ダンブルドア対ヴォルデモートの構図に、魔法世界をつかさどる魔法省がからむ。原作では、ハリーは性の目覚めとともに、理不尽に周りに当り散らし、思春期の暗黒と政治が重なって、ポスト911のファンタジー世界を作り出しているが、映画も観客を息苦しくさせないほどに暗い雰囲気をかもし出している(親友の父がヴォルデモートの蛇に襲われる夢を見るハリー。彼自身が蛇になっていたため、自分が邪悪な存在ではないか、と悩む映画の場面は、マスタベーションの罪悪感を思わせる)。

とにかく、アラン・リックマンのスネイプだ。彼が出てくるたびに、きちんと座りなおし、興奮のあまり、隣の夫の手を握っていた。NYタイムズの評でも「リックマンはスネイプを、現代映画の中で最も刺激的にあいまいなキャラクターの一人にした」と書いている。要はセクシーだってことだ。「ハリー・ポッター」の他の登場人物と違い、善悪がはっきりしない二重三重のスパイで、感情を顔に出さないかと思えば、子供っぽい面もあり、カリスマ性とおかしさがただよう。原作も5,6巻目あたりになると、リックマンを念頭において書かれているような気がする。映画と原作の相乗効果により、この次の巻Half Blood Princeで、スネイプはヒースクリフ級のアンチヒーローになったと思う。ヴォルデモートの攻撃から心を守るための個人レッスンをハリーに行う場面は、性的要素があってもセクシーではない原作で唯一、非常にセクシーだ。スネイプがハリーの心をこじ開け、ハリーはそれを防御しようと試み、スネイプの心をこじ開け返す。映画でも、この場面がきちんと描かれていたので満足した。

ガキには興味ないので、映画ではもっぱらゲイリー・オールドマンデヴィッド・シューリスらイギリス俳優たちの演技を楽しんでいるが、今回の大悪役イメルダ・スタウントンも、魔法省の官僚的な悪人として、期待を裏切らなかった。マイク・リーの「ヴェラ・ドレイク」を見たときから、自分が正しいと思い込んで悪事を働く人間の怖さを演じるのに、完璧なキャスティングだと思っていた。マギー・スミスとの、言葉による火花の飛ばしあいはもう少し見たかったが。へレム・ボナム・カーターの悪役もアクが強くてなかなか良かった。