This is England/Blame it on Fidel

子供が主人公で政治がらみの、非常に対照的なヨーロッパ映画二作品を、二日連続で見た。

シェーン・メドウズ監督のイギリス映画「This is England」は、サッチャー政権下の1983年、労働者階級のイギリスが舞台。12歳の少年ショーン(10歳くらいにしか見えない)の父はフォークランド紛争で死亡し、母親と暮らしている。言葉が汚く、手も早いショーンは、学校でケンカした帰り道、道端でたむろすスキンヘッズの若者たちに出会い、彼らのマスコット的存在になる。彼らと同じような服を着て、パーティーを楽しみ、ボーイ・ジョージみたいなメイクの女の子と初めてのフレンチキスをする。が、年上で人種差別的なスキンヘッズのコンボが刑務所から出てくると、気楽な日々は終わりを告げる。仲間は二つに分かれ、コンボに父の面影を求めるショーンは、パキスタン人の食料品店を襲う。。。

ベン・シャーマンのシャツにサスペンダー、細身のジーンズをロールアップしてドクター・マーチンのブーツを見せる、スペシャルズら2トーン・バンドを思わせる、スキンヘッズの着こなしは、パンク以降のイギリス音楽を聞いて育った私には、あまりにも懐かしい。音楽もトゥーツ&ザ・メイタルズなど、スカ、レゲエ、パンクの渋めな選曲で、ノスタルジアだけでなく、ファッションと政治、音楽が入り混じった当時の雰囲気を的確に表現している。

ユーモアもあるが緊張感の方が強く、俳優たちの演技もうまく、非常に力強いインパクトがあるが、手放しで好きとは言えない、ざらざらした感触を残す作品だ。子供が過激派右翼に走るという愉快でない設定が本当に必要だったのか、12歳の子がマリファナを吸う場面を見せる必要があるのか(ハリウッド映画ではありえない)という疑問が浮かんでくる。が、同時に、その落ち着きのなさは、ギャングの一員であることの粗っぽい胸騒ぎと幻滅と、周りの人たちの不快感そのものをも表現している。

スキンヘッズの中でも極右に走る若者とそうでない者の、近くて遠く、遠くて近い違いが、一番印象に残った。ファッションと政治、音楽が入り混じった、ざわざわした雰囲気の中で、同じ仲間でも、きっかけがあれば、暴力的な右翼になってしまう。が、そうなったのは、デブやめがねのさえないのやハードゲイ風で、スペシャルズのような装いの若者は、一線を踏み越えない。たかがファッションではあるが、ファッションが思想を決めることもあるのも真実だ。台詞はアクセントが強く、7割くらいしか聞き取れなかったが、かえって、より直感的な子供の目で見る助けになったように思う。

「Blame it on Fidel 」は70年代初期のパリが舞台のイタリア/フランス映画。9歳の生意気な優等生アンナは、結婚式で子供たちが集まっても「他の子は走ることしかしないから」と遊ばない。保守的なカソリックの女子校に通い、頑固だが自分を持っている。

コミュニストの叔母はフランコ政権下のスペインを追われ、アンナの家に居候する。それをきっかけに、弁護士の父と「マリ・クレール」のライターである母を持ち、庭付きの大きな家に住む、アンナの幸せな生活は、彼女の意思に反し、変化を強いられる。

両親が突然、ラジカルな市民運動家になってしまったのだ。父はチリの大統領選で左翼候補を支援する活動家に、母はフェミニストになり、中絶の権利を主張するインタビュー本を出版する。引越し先の小さなアパートには、運動家たちが始終大勢出入りするようになる。フィデル・カストロの革命によりフランスに逃れて来たため、コミュニストを嫌うキューバ人のナニーの代わりに、活動家で服役中の夫を持つギリシャ人のナニーが雇われる。父は「ミッキーマウスファシストだから読んではいけない」と言う。

急激な変化に対するアンナの、両親の、そしてお互いに対する反応を、賢い質問小僧であるアンナの目を通しながら、両方に共感を寄せて描いている。アンナは、新しいナニーの作る料理になじめず、キューバ人ナニーも祖国を追われ、ここで働かないと生活に困るのは一緒だ、と納得がいかない。お気に入りの科目であるキリスト教の授業を受けることも禁止されるが、新しいナニーから世界の成り立ちについてのギリシャ神話を教わる。保守的なカソリックである祖父母、チリを追放された活動家の語る共産主義ウーマンリブなど、異なる思想がアンナの頭の上を飛びかい、同時にドゴールの死やチリのアジェンデ政権誕生など、世界史の大事件も巧みに物語に組み込まれている。

大人びた子供の論理が的確にとらえられ(“連帯”を理解しようとして、教室で他のクラスメートと一緒に、間違った答えに手を上げて困惑する)、性教育の方針の違いによるユーモアにも笑わされる。両親が、祖母やナニーの嫌うコミュニストかどうか、ということに関して「口に出して言わないほうが良いこともあるの?」という彼女の鋭い質問には、涙が出そうになる。変化を柔軟に受け入れる弟と違い、アンナは戸惑い反発しながらも、ひとつずつ納得していき、賢いが視野の狭いブルジョワから、地に足の着いたより広い視点を持つ少女へと着実に成長していく。アンナも両親も間違いを犯しながら成長していき、期待は時に対立や失望を招くが、だからこそお互いへの理解が深まっていく、ほろにがい人生の流れが描かれる。左翼映画監督コスタ・ガブラスの娘、ジュリー・ガブラスの初長編作品で、作品の設定同様、映画の出来もデビュー作とは思えないほど洗練された風刺劇だ。アンナ役ニナ・カーヴェルも素晴らしく、これからが楽しみ。

「This is England」「Blame it on Fidel 」ともに、周りの状況の変化に伴う子供の成長を、子供の視点で描いているが、大人も子供も共に大きくなっていく後者の方がはるかに共感度は高いし、より楽しめた。子供の視点から語ることにより重点を置き、イギリスの事情を知っていたらもっと理解できたろう、と思わされた「This is England」に対し、後者の方が独立した映画としてより完成度が高く、視野が広いためにかえって、子供の目から語る意味がいっそう生きている。