ビデオ日記


「Kiss Me Deadly(キッスで殺せ)」
若くてリッチそうな体育会系ルックスのマイク・ハマーが主人公のハードボイルド探偵物。テンポも速く、見せ場もたくさんあるサービス精神旺盛な作品だが、特に印象に残っているのは、ハマーがオペラ好きの男を尋問する場面。カルーソーのレコードに合わせて歌っている男に、コレクターズアイテムだと誉め、間髪を入れずにレコードを真っ二つにして、心理的優位に立ち、情報を引き出す。ゾンビ物パロディー映画「ショーン・オブ・ザ・デッド」で、レコードを選びながらゾンビに投げつける場面と共に、レコード盤そのものが効果的に使われている作品。

「The Strange Love of Martha Ivers (呪いの血)」
これもフィルム・ノワールノワール物は通常、始めに犯罪ありきだが、恐怖がありもしない犯罪を作り出してしまう設定とその心理描写が秀逸。おびえながらも度胸が据わり、演技力のあるバーバラ・スタンウィックが、ただ恐怖におびえるカーク・ダグラスを操る様は、政治劇としても見れる。しかし、この邦題ひどいな。

「Repulsion(リプルション〜反撥〜)」
これも恐怖そのものが主題の優れた作品。性的に未熟な若い女=子供がお留守番で味わうパラノイアな恐怖。

「The Man Who Knew Too Much(知りすぎていた男)」
海外旅行が憧れだった50年代に、エキゾティックなモロッコを訪れるアメリカ人旅行者の微笑ましいイノセントさは(この時代のMr.アメリカといえるジミー・スチュワートの長い足が低いテーブルにつかえる)一転して、言葉の分からない異国でのトラブルと不安になる。ドリス・デイの歌う「ケ・セラ・セラ」は始めは息子とのデュエット、クライマックスでは弾き語りだ。「将来は私たちには見えない」と歌い、最初は未知への期待、誘拐された息子を救う山場では未知への不安が強調される。ロイヤル・アルバート・ホールでオーケストラの指揮をするのは作曲者バーナード・ハーマンだが、指揮する曲は別の作曲家により、ドリス・デイの歌う2曲も、また別の作曲家の作品で、それぞれ場面にあった使われ方がされている。ヒッチコックの選曲の正確さとプロ根性がすごい。

「North By Northwest(北北西に進路を取れ)」
すごく久しぶりに見直したら、スリラーというよりロマンティック・コメディだった。ヒッチコック作品では、ジミー・スチュワート主演の心理スリラー物の方が私の好みだが、こういうリラックスして楽しめる作品も悪くない。とにかく、ケイリー・グラントがおかしい。ヒッチコック作品は、監督自身も「女優は男優ほど役者として優れていない」と語っているように、たいがい女優より男優のほうが人間性に幅があってカジュアルな魅力があり、制作当時の基準でのレディである女優よりも古くなっていない。「裏窓」のグレイス・ケリーは別格だが。

「Rope(ロープ)」
芝居の映画化とはいえ、他のヒッチコック作品に比べて映画らしさがあまり感じられない。一軒のアパートだけが舞台で、1リール10分をカットなしで撮っており、殺人の動機も映像ではなく、言葉で論議される。

「The Thief」
台詞が全くないノワール物。面白い試みだが、台詞が少しでもあれば物語が広がるのに。レイ・ミランドが機密を売る科学者を演じ、スパイ行為の露呈に対する不安を描くが、彼の視点からしか描けておらず、この内容で85分は長すぎる。サイレント映画的なアプローチではなく、通常の映画から台詞だけを抜いており、音楽と効果音、少しだけ誇張した演技(いかにも問題を抱えていそうなミランドの顔)でがんばっていても、内容が限られてしまう。


江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間
カルト中のカルト。石井輝男の主な作品は大体見てるが、ラストの花火の場面とか、何でこんな馬鹿げた発想が浮かんでくるのかほんとに不思議だ。大手制作会社(東映)で撮ってしまったのもすごい。

「直撃!地獄拳」 「直撃地獄拳 大逆転」
安岡力也の人間くさび(?)など個々のギャグはおかしいのに、脈絡がなさすぎ。馬鹿馬鹿しさを楽しむ作品ではあるが(よりお馬鹿な二作目の方が面白い)もう少しまとまりがあったら、もっと面白くなりそうなのに。千葉真一は良い役者だけど、アクション自体は香港映画に比べて、キレや輝きに欠けて見える。石井輝男は空手映画が嫌いらしいので、それも原因かも。

十三人の刺客(’63年)」「大殺陣(’64年)」「十一人の侍(’67年)」
「Samurai Revolution」と名打った工藤栄一監督の侍三部作ボックスセット。光と影を強調した映像が美しい、実録スタイルの集団時代劇で、バカ殿(菅貫太郎)暗殺とそれを遂行する男たちを描くストーリーはどれも同じだが、物語の焦点はそれぞれ違う。「十三人」は暗殺者のリーダー片岡千恵蔵が、芸者のヒモになっている甥を訪ね「俺も若い頃は三味線で身を立てようと思ったが、侍の方が楽だ」と言って、三味線を弾きだす。玄人はだしの三味線に説得され、甥は暗殺に加わる。三味線は江戸のロックギターだったんだと強く感じた。「大殺陣」はよりダーティーでリアル、集団劇がより強調され、手持ちカメラに水しぶきが飛び散るクライマックスの乱闘、個人的にはこの作品が一番好き。効果的ではあるが、ゴジラと似すぎているのが気になってしまう伊福部昭の音楽も、二作目では使われていない。侍の死の倫理に重点を置いた「十一人」が一番共感しずらい。「十三人」「十一人」ともに西村晃がかっこいい。

「天国と地獄」
BAMで。二人の大スターに敬意を表して、というかデートする気持ちで、おしゃれしていく。久しぶりに黒沢映画を劇場で見て堪能。ビデオで見ると、前半は三船敏郎心理的な葛藤、後半は仲代達矢を始めとする捜査劇中心の物語に見えるが、大画面だと前半の仲代の背景での演技も光っている。江ノ電の音の口真似をする沢村いき雄は、見ていてうれしくなる(「ああ爆弾」の運転手役「さんびゃくまん」も忘れられない)。

「The Name of the Rose(薔薇の名前)」
小説は「ダ・ヴィンチ・コード」の中世版と思って読んだら、格段に難しかったが、その分知的な面白さも倍増。修道僧たちのラテン語まじりの神学議論を我慢して読んでいくと、最後には全てがつながり、華麗で視覚的な描写が繰り広げられる。映画は原作の知的な雰囲気を残しつつ、修道院が俗世界同様に血だらけの場所であることを効果的に示していて、悪くない出来。が、セックスを描くのが映画だからしょうがないが、知への欲望よりも肉欲に重点が置かれているために、禁じられた書への欲望とそのために死んでいった僧たちの物語の舞台である、図書館そのものが焼けてしまう、というカタルシスが薄れてしまっているのが残念。