Protagonist

ジェシカ・ユーのドキュメンタリー「Protagonist」には、4人の男が登場する。元ナチの警官を父に持つドイツ人テロリスト。母の死後暴力をふるうようになった父に殺人未遂を行い、その時の充足感を追体験するため連続銀行強盗をするメキシコ系アメリカ人。自分がゲイであると気づいて悩み、ゲイであることから「卒業」するために福音派宣教師になった男。そして、カンフー道場で厳しい修業に励むいじめられっ子。それぞれ背景は異なるが、つらい少年時代を送り、そこから解放される手段として何かを強く信じ、後に激しく失望し、再び180度方向転換して立ち直るというパターンは共通している。

彼らの人生は「刺激」「転換期」などの章に分けられ、人形劇によるエウリピデスギリシャ悲劇と平行して語られる。異なる人生をまとめ、時代を超えた共通点を見出すためのギリシャ悲劇だが、その狙いは成功しているとは言えない。4人のインタビューだけでも彼らの共通点と違いは見えるし、それほど長くない章の頭に必ずギリシャ語による人形劇が挟まれるのでテンポが悪く、彼らの映像だけで作品をまとめられないのは作者の力量不足のように感じられる。父殺し未遂を語るインタビュー場面では声だけが聞こえ、事件を人形劇で再現する、など人形が邪魔な場面もある。語りだけで絵は浮かんでくるのだから、語り手の表情こそ見たい。

また、彼らの狂信的盲目的なのめり込みと失望は、不幸な子供時代を送るとこうなるのか、というステレオタイプとしてまとめてしまうことができ、作者が思っているほど興味深くなく、観客の感情移入をも妨げている。警官が弱者の味方ではないことにテロリストが気がついたのが20歳ごろ、というのはあまりにもナイーブだし、カンフー師匠の無意味な乱暴さに幻滅するのも、気づくのが遅すぎる。宗教的な人間でない私にとって唯一興味深く、感情移入できるのが、父を殺そうとした銀行強盗犯、というのは皮肉というべきか。犯罪行為によって犠牲者から加害者になり、ニーチェの言うところの、社会のルールを超越した存在である超人になろうとしたJoe Loyaの犯罪行為自体は認めないが、納得できる行動の動機はある。Loyaは「The Man Who Outgrew His Prison Cell : Confessions of a Bank Robber」という告白本も書いているので、ぜひ読んでみたい。

短編ドキュメンタリー「Breathing Lessons: The Life and Work of Mark O'Brien」でアカデミー賞をとった監督は女性だが、女は登場しない。女の方が男より現実的なので、盲信・失望・回復という主題に適さないためだと思うが、作品に現実味と説得力を持たせるためには、女性も一人くらいいたほうが良かった。長編ドキュメンタリー映画と思わず、NHKの特別番組のつもりで見れば、がっかりしない作品。