ビデオ日記


The Color of Pomegranates ざくろの色
セルゲイ・パラジャーノフ監督の‘64年の「火の馬」はエスニックと前衛の、時にミスマッチとすら言えるような不思議な組み合わせが他のどこにも存在しない独自の世界を作り出している。同監督による'68年制作のこの作品では、エスニック度も前衛度もさらに進み、両者が完璧に一体化した世界を作り出している。民族性を取り入れた映画は日本など他にあっても、映画というフランスとアメリカが作り出したメディアを借りているにすぎないが、ここでは映画という枠組みを感じさせないほどだ。ロシアンアバンギャルドというと、映画ではエイゼンシュテイン、美術ではカンディンスキーなどを指すが、この作品こそ真のロシアンアバンギャルドと言いたい。
前作ではエスニックだけでなくクラシック風音楽もあったが、ここではエスニックのみ。字幕と詩の様な繰り返しの多い台詞、効果的な沈黙のほかは、常に音楽があり、映画としてのみでなくCDとしても楽しめる。アルメニアの詩人の一生を抽象的に描いた、精神世界の旅の物語は「エル・トポ」を連想させるが、さらに独自な世界だ。映像の美しさも前作に磨きがかかり、映画ファンのみならず、ファッション関係者も必見の作。ぜひ大画面で見たい。

Sunset Boulevard サンセット大通り
往年のサイレント大女優を演じるグロリア・スワンソンはもちろん、彼女に深情けをかけられた売れない脚本家ウィリアム・ホールデンの、自己をシニカルに笑う演技が良い。スワンソンは自殺未遂までして、若い男の気をつなぎとめようとする。男は嫌気がしつつも、彼女から離れられない。映画という魔物にしがみつく女の中に自分を見ているからで、彼のシニカルなユーモアもそこから来ている。自殺未遂をしたばかりの女から離れられないことに気がついた男が女に言う、「A Happy New Year」は私が聞いた中でいちばん哀しい新年の挨拶だ。

Unfaithfully Yours 殺人幻想曲
妻の不倫疑惑に取りつかれた指揮者(レックス・ハリソン)を描く、プレストン・スタージェスのブラックなコメディ。ウィットの効いた会話がマシンガンのように繰り出されるスクリューボール・コメディから始まり、オーケストラを指揮しながら不倫劇の血にまみれた清算を思い描き、コンサート後は頭の中で描いた妄想の実行がうまくいかない様子、最後にはまたスクリューボールに戻る、という音楽のような構成。ロッシーニ、ワグナー、チャイコフスキー作品を指揮しながら、それぞれの音楽に影響され、異なるバージョンの不倫劇の結末を思い描くのが、シュールでブラックで何ともおかしい。実際にオーケストラを指揮しながら、こんなにビビッドな妄想を描くことがありえないのもシュールさを増している。彼の指揮する音楽は素晴らしく、満場の拍手喝采を浴びるというのも皮肉。音楽のような構成のアイデア自体は素晴らしいが、早口の部分は英語ネイティブでない者にはきついから置いておくとしても、妄想の実行がうまくいかない場面は、殺人の小道具がうまく扱えないというジョーク一つだけで、約10分の長丁場を殆ど台詞なしの身体の動きのみで引っ張っており、1948年という制作年度を感じさせる古臭さだ。

Cruising クルージング
連続ゲイ殺人犯捜査のために、アル・パチーノがおとりとしてSMゲイクラブに潜入する話。NYの刑事物スリラーとしては「セルピコ」の方が面白く、パチーノも魅力的だがベストではない。が、実際のゲイクラブとその客をエキストラとして使い、エイズ以前のNYハードゲイ文化(1980年制作)をのぞけて興味深い。パチーノが住んでいるアパートを初め(ゲイの多いウエストビレッジという設定だが、実際のロケ地はイーストビレッジのように見える)、セントラルパーク、ウエストビレッジ、ミートパッキング地区、ハーレム、コロンビア大学、モーニングサイドハイツなど、ロケ地もマンハッタン中にわたり、今とあまり変わっていない景色だ。ちなみに、私が以前住んでいたブルックリンのパークスロープは、乳母車を押したヤッピー夫婦も多いが、レズも多いところで、ふと女の視線を感じることもあった。

Metal : A Headbanger's Jouney
カナダの文化人類学者でメタルファンでもあるサム・ダンによる、ヘビーメタル文化についてのドキュメンタリー。ドイツのフェスティバル、北欧、ロンドン、NYなどでインタビューをしながら、マッチョさや性差、宗教、暴力と死、検閲、ファンの姿などメタルにかかわる主題を追っていく。従来のメタルは、アウトサイダーとしての自己を開放するための、キリスト教のアンチテーゼであった。が、90年代初期に始まったノルウェーブラックメタルは、メタルの悪魔的イメージを文字通りとらえ、放火や殺人など実際の犯罪行為と結びつくようになる。キリスト教原理主義に走る傾向と対称をなしている、というわけ。

切腹 Harakiri
久しぶりに見直したら、やっぱり鳥肌立つ大傑作だった。初めて見たときは、仲代の役が侍社会に物申すテロリストだと思ったが、というよりはやっぱりアンチ侍映画。侍社会のむなしさに気がついて、死ぬ前に抗議する浪人仲代が、侍社会の空虚な価値観にしがみついている官僚的侍より、侍らしいという皮肉。しかも、その抗議も、文字通り空虚な、過去の象徴でもある空の鎧にのみ込まれてしまう、という圧倒的な空虚さ。対立しながら空虚さについて語る仲代、三国連太郎丹波哲郎らの美声は華麗なオペラのようだ(空虚さを語るのに費やされる華麗な贅沢さ!)。日本人に生まれてよかったなあ。緊張感が持続するシリアスな作品ではあるが、フラッシュバックの絶妙なタイミングといい、優れた悲劇は喜劇にもなりうることが良く分かる。
前日に桐野夏生の「グロテスク」を読んでいた。私立女子高の外部生いじめのルーツは、貧乏で腰の刀を売ってしまった浪人に、武士の魂を売るとはけしからん、と罰として竹光での切腹を強いるところにある!ちなみに、Criterion Collection版についている、アメリカ人批評家による簡潔な解説も優れている(侍道の空虚さを描くのに、幕末でなく徳川幕府が始まったばかりの時代を選んでいる。「ハラキリ」には日本語の「切腹」のノーブルさがない、など)。

他人の顔
勅使河原宏の演出も、仲代達矢平幹二朗ら役者の演技もうまい!前半は目と口だけが見えているミイラ状の顔という、演技にとってのマイナス要素をスリルに置き換え、どんな仮面なのかぎりぎりまで見せない。仮面というのは包帯をとった仲代の顔だが、それが仮面に見えるすごさ。磯崎新デザインの、ガラスを主体とした精神科医のセットも印象的。ほんとに50−60年代の東宝映画は、知的な芸術と娯楽が一体化した作品が目白押しだ。武満徹作曲のワルツも印象的(オーケストラ版と、前田美波里がドイツ語で20年代ベルリンのキャバレー風に歌っているバージョンがある)。Criterion CollectionからのDVDで、評論家による鋭い解説も質量ともに充実。

大誘拐
91年の公開以来初めて見直したが、記憶にあるよりも面白かった。自分を誘拐した若者たちのボスになる、獅子で狐でパンダのような北林谷栄は当時もカッコイイと思ったが、彼女の年により近づいている今はもっとカッコイイと思う。彼女が警察の捜査を巻くためのトリックは、GPSのある現在では使えないものもあるが気にならず(最初と最後の80年代ポップはいただけないが)頭の良さに感心し、小気味良いスリルが味わえる。彼女と誘拐犯のボス役風間トオルとのラブストーリー的な交流も「ハロルド&モード」より感動的。身代金の要求に対し、誘拐された側の家族が金を軸にして一つにまとまるのも良い。話題の乏しい疎遠な家族の間でも絶対に話が続くのは健康と金、家族についてであり、金は愛なのだ!制作年度からして、バブルを笑っているのだろうが、時代を超えた心理だ。天本英世の支配人役は、やはり喜八映画の常連である沢村いき雄の演技を彼風にアレンジしたように見えるが、楽屋落ちか?