ダイアン・レイン、杉本美樹

Ladies and Gentlemen, The Fabulous Stains

女の子3人の架空のパンクバンド、ステインズの「成功と挫折、栄光」を描く、ダイアン・レイン主演作品。ビデオ/DVDリリースされたことがない、幻のカルト映画だ。セックスピストルズ解散後のスティーヴ・ジョーンズ&ポール・クックとクラッシュのポール・シムノンが、ステインズと共に全米ツアーをするバンド、ルーターズで演奏していたり、当時14歳のローラ・ダーンの出演など、パンク&映画ファンには美味しいおまけつき。だが、何と言ってもこれは当時16歳だったダイアン・レインの映画で、彼女なしでは存在しない作品だ。奇抜なアイメイクと下着ファッションで、言いにくいことをずばり言うボーカリスト役で、カリスマ的な奇妙な、時代を超えた強く個性的な美しさがあり、「ストリート・オブ・ファイヤー」とは比べ物にならないほど印象的だ。
81年の作品だが、ロック業界のインサイダーとしての視点が、今見ても興味深い。商業化して新鮮さをなくしたパンク(それを上記のオリジナル・パンク有名人が演奏しているという皮肉)に代わり、台頭するステインズ。オリジナル・パンクよりも下手くそな音楽であえて自己表現することで、自由で力強いパンク精神を感じさせ、フェミニスト・パンク的なアティテュードが女の子たちの共感を呼ぶ。Le Tigreなど90年代初期のライオットガール・ムーブメントやコートニー・ラブにも影響を与えている。パンクだけでなく、キッスや2トーン、レゲエなど当時流行った音楽も、その商業化がパロディの対象になっている。ステインズがルーターズから曲を盗んでヒットさせ、しかもその曲がプロフェッショナルになること、というのも現実味ある皮肉だ。挫折を乗り越えたステインズがプロになると、80年代MTV風ファッションになり、時代を超えた美がなくなってしまうのも然り。
ツアーでの移動の殺風景さも、私のアメリカ・ツアーの体験から大きくうなずける。広いアメリカでは、都市から都市への移動はハイウェイからハイウェイ、クラブのある場所も殺風景な街はずれだったりする。金持ちバンドでない限り、観光してたらそれだけ損するから、毎日駐車場から駐車場への移動。どこの街も同じに見えてきて、映画の中でも具体的な街の名前は一切出てこない。

0課の女 赤い手錠

杉本美樹が誘拐犯を追うハードボイルドな女刑事を演じてカッコイイが、「さそり」の二番煎じ的なキャラクターで、彼女の魅力が最大限に生かされているとは言えない。が、状況が煮詰まるにつれて狂気の度を増していく犯人の郷英治がとても良い(個人的にはコミカル一辺倒の「直撃地獄拳・大逆転」よりも、狂気を感じさせながらもおかしい、この作品の演技の方が好き)。執念の刑事役室田日出男や、お約束の政界大物役丹波哲郎、死体になってまでもおっぱいさらしてくれるB級映画女優のプロ根性が光る三原葉子など脇役の隅々まで、ぎらぎらした雰囲気が最高だ。
主人公の性格設定、反権力的なメッセージや時折挟まれるアーティスティックなカット、主題歌などが「さそり」の二番煎じ的印象を与えるものの(原作者は「さそり」と同じ篠原とおる)それが欠点とならず、かえってBムービーらしい、安っぽくぎらぎらしたハングリーなパワーが感じられる快作。「不良番長」シリーズの野田幸男の演出もテンポ良く、おっぱいに拷問場面、バイオレンスが満載の、緊張感もユーモアもある物語を進めていく。「キル・ビル」や「ホステル」はこのぎらついたガッツを見習うべき!菊池俊輔のブラック・エクスプロイテーション映画風ファンキーな音楽もカッコイイ。

おとし穴
勅使河原&安部作品では、やはりいちばん有名な「砂の女」が大傑作で、次が「他人の顔」、次がこの一作目(「燃えつきた地図」は未見)だが、見所はたくさんある。廃坑の崖、暑さと体温の描写、性的要素など「砂の女」に通じるモチーフも興味深い。「砂の女」の主人公と違い(生死を超越したような存在の白スーツの男(田中邦衛)だけでなく)少年が村を出ることも。キリコの絵のような人気のない廃坑の通りに、忙しい幽霊の世界が出現する。素朴な九州弁(?)で語られる、幽霊世界は哀しくもおかしい。自分の死体から抜け出し、自らの死体の隣に立つ幽霊。腹が減ってる時に死んだら、空腹のまま幽霊になる。生者にちょっかい出しても不毛で、死んだら全ておしまい、と先輩幽霊が新米幽霊にさとす。少年の万引きは性的な覗き見と結びついている。蒸し暑い夏の感じが伝わってくるような、美人でなく鈍重そうな駄菓子屋の女の、だらしない感じの色気。

砂の女

久しぶりに見直した。安部公房というとカフカの影響がいちばん語られるが、不条理演劇をまとめて見たばかりなので、それらの影響も大いに感じた。ピンターの都会性&階級性(都会人に対する村人たちの劣等感と悪意)、具体性、エロス(後の2要素は映画というメディアの特質でもあるが)に、スケールの大きなベケット的実存的疑問を無理なく合わせたような作品だ。とにかく岸田今日子のエロさがすごい。登場人物の喉の渇きは彼らの実存的な餓えと直結し、見ている方も喉が渇いてくるだけでなく、すぐそこにあるコップに手を伸ばせない呪文にかけられたよう。