ShowBusiness : The Road to Broadway


2004年のトニー賞候補になった新作ブロードウェイ・ミュージカル4作品の内幕を、オープン前からトニー賞まで追った、ブロードウェイに興味がある人はもちろん、そうでない人でも面白く見られる(と思う)優れたドキュメンタリー。去年5月に限定公開された。

大人のためのセサミストリートと名打った人形劇「Avenue Q」。「チーム・アメリカ」よりも先に、保守的なブロードウェイで人形のセックスを上演した作品だ。「Wicked」は悪い魔女の視点から見た「オズの魔法使い」で超豪華作品だが、音楽や振り付けなど、ディズニーの「ハイスクール・ミュージカル」を思わせる(そのせいか、トゥイーンズの熱狂的なファンがつくようになる)。ボーイ・ジョージ作でロージー・オドーネルがプロデュースする「Taboo」は80年代ロンドンのゲイ・クラブ・シーンを描く。「Caroline, or Change」は1963年のルイジアナが舞台で、ユダヤ人家庭で働く黒人メイドが主人公のシリアスな作品。

タイプの違う4作品の内幕だけでなく、プロデューサーやプレス、批評家のコメントも含めバランスよく見せていく。各作品に対してより深く突っ込むことも可能だったろうが、演劇関係者でない人でも楽しめる適切な長さ深さになっている。ワークショップからリハーサル、プレビュー(最後の最後まで続く作品の手直し。作曲家と作詞家の共同作業が興味深い)、オープニング、キャスト・アルバムのレコーディング、トニー賞候補発表&授賞式とその後が描かれる。最優秀ミュージカルに選ばれると公演が続けられ、地方公演もできて、よりお金が儲かる。一方、選ばれなかった作品は採算が取れなくてクローズするという、制作費もリスクも大きいビジネスだ。批評家にはけなされ、作品賞も取れなかった「Wicked」がいまだ大ヒット中、というように例外もあるが。

「プロデューサーは失敗しても失敗してもよみがえってくるドラキュラのような存在」とNYタイムズの劇評家Ben Brantleyは語る。オープニング翌日に出る批評によって、一夜にして作品が葬られることもある。ブロードウェイ全体が大きな劇場であり、演劇を愛する人たちがそれぞれの役割を承知して演じているようだ。

ボーイ・ジョージタブロイド紙NYポストの記者のケンカも興味深い。「Taboo」制作の混迷ぶりをオープン前から報道し、作品を葬り去る先鋒に立った記者に対し、ボーイは「weasel(いたちみたいにずるいヤツ)だ」と言い、殴ってやりたい、といきまく。有力紙の批評家が集まって(これはやらせだと思うが)または単独でシーズン予想をする様子には、批評の公正なんてありえないことを改めて思う。実際に作品を見る前から情報が入ってきて、それを元に各批評家は評価の予想をし、批評記事の構成も考えているはずだから、それらの偏見をくつがえすには、作品によっぽどインパクトがないと難しい。

当時の私は、タイムズスクエアにあるオフィスに毎日通って演劇関係の仕事をしており、その頃の熱気がよみがえってくるようだった(ニュース以外では見たことがなかったオープニングやクロージングの様子も興味深い)。とろとろ歩く観光客ばかりでうざいと思ったことも、見ているときは忘れ去ってしまう。ブロードウェイは商業主義に毒されてつまらなくなった、とここ数年来しばしば批判されるが、若い層をターゲットにした異色のミュージカル「Avenue Q」がトニー賞をとったのは、ブロードウェイの未来にとってうれしいことで、それを祝福する思いが作品から伝わってくる。若者の芝居離れが続いているが、なんとこの作品の制作者たちは当時20代後半から30代前半だ。私だって演劇関係の仕事をするまでは、映画や音楽に比べ演劇なんてダサいと思ってた。仕事で数を見るようになってから、ハリウッド映画と一緒で、数ある中には良い物も悪い物もある、と分ったのだ。「Avenue Q」は大いに楽しんだ数少ない作品のうちの一つだった。

スウィーニー・トッド」追記:アラン・リックマンの判事はただのロリコン爺さんではなく、自分を含めた全ての人間は罪びとであるという認識の上で、悪事を働く確信犯的悪党だ。幼い少年に絞首刑の判決をくだす彼は「罪をおかさない人間はいない」と語る。その対極にあるのが、判事の犠牲になる、善良で美しいだけのトッドの妻であるが、彼女もまたそのナイーブさのゆえに罪びとである、という大人の世界観に基づいて描かれている(トッドは彼女のナイーブさを悔いて歌う。日本語の「ナイーブ」は純真さという意味合いで使われることが多いが、元の英語では世間知らずのバカ、という意味合いの方が強い。ナイーブさを美徳とする日本人の概念は「かわいい文化」の背景と無縁ではないだろう)。タフで荒涼とした世界観だが、それゆえに、現実に直面して生きている大人たちにとって、そのタフさを笑い飛ばすためのブラックな人肉ジョークが意味をなしてくる。効率化されたパイ製造システムは資本主義社会を揶揄するものでもある。