東映ピンキーバイオレンス、ロマンポルノ、ソンドハイム舞台

妖艶毒婦伝・人斬りお勝
宮園純子演じるお勝の復讐物語で一作目と似ているが、この中川信夫監督の二作目のほうがキャッチー。東映ピンキーバイオレンス物の先駆けだが、内容的には任侠物に近く、ショウ・ブラザーズのカンフー物にも似た物語だが、残酷度はこちらのほうが高い(ピンキー物よりは低いが)。

ずべ公番長 夢は夜ひらく
偶然この作品も前述の「お勝」と一緒で宮園純子大信田礼子のコンビが出演。大信田は女忍者役よりもずべ公なこっちのほうが断然生き生きしているが、杉本美樹池玲子が出演した女番長物ほど、作品として吹っ切れていない。任侠度の強いピンキーバイオレンス。70年代初期でありながらどこかふざけたファッション(絞り染めの長袖Tシャツに首スカーフ、葉巻をくわえたやくざの親分など)やドラッグ系仏教カルトなどの風俗が楽しい。宮園純子というとマットピンクの口紅。

聖獣学園
面白いが、スケ番物など鈴木則文監督の他の作品に比べ、インポ親父がエキゾチックな設定で奮い立とうとしているような感じ。あってないような存在の、日本におけるキリスト教を陵辱しても反体制度は弱い。谷隼人が尼さんの格好で三原葉子の修道女を犯す場面以外はユーモアが少ないのも、他の鈴木作品に見られる反体制とセックス、ユーモアが渾然一体としたアナーキーさを弱めている。とはいえ、キリスト教諸国ではショッキングな内容だろう。アメリカでプロテスタントの教育を受けた夫に聞いたところ、一番衝撃的なのはキリスト像への放尿(+拷問による血もしたたる)でも、前述の谷隼人がセックス場面でかますジョークでもなく、多岐川裕美が斧でキリスト像をぶち壊すところだそうだ。偽善的な偶像崇拝を非難したら、他の場面は演技だと分っているが、キリスト像は実際に壊されているから、との理屈。

女地獄 森は濡れた

マルキ・ド・サドの「新ジュスティーヌ」を神代辰巳が脚色監督した日活ロマンポルノ。舞台は大正時代の山の中のホテル。楽しそうに悪徳の限りを尽くす、ホテル経営者の山谷初男がとにかく印象的。宿泊客を殺し、男も女も犯し、鞭打ちながら、アナーキーな悪の哲学を語る。

人妻集団暴行致死事件
いかにも扇情的なタイトルのロマンポルノだが、映画としての完成度は高い。中途半端なワルの若者3人のやるせないエネルギーが伝わってくる(唯一、本物のワルになっていくだろう古尾谷雅人がカッコイイ)し、彼らとかかわりあったために、愛する妻を輪姦殺人されてしまう中年男室田日出男からは人生のうまみと哀愁、おかしさがにじみ出ている。田中登監督。

Ilsa, She wolf of the SSナチ女収容所/悪魔の生体実験
反体制的で自由な雰囲気の東映ピンキーバイオレンスと違って、ナチスの医療収容所長で生体実験を繰り返す女イルザという体制側の視点から描かれており、エログロを見せるだけが目的で爽快感がない。右翼の偽善的な変態オヤジが好きそうな感じ。

Altered States アルタード・ステーツ
ドラッグが見せる幻覚を自ら体験しながら研究する内に、遺伝子が退行してしまう科学者役のウィリアム・ハートは不吉な顔で作品の雰囲気に合っている。が、せっかく知的に面白い題材なのに、理性と原始の葛藤が描かれておらず物足りないし、見世物としても徹底していない。

Sympathy for Mr. Vengeance復讐者に憐れみを
No Sympathy for Mr.Vengeance. 

The Legend of Suram Fortressスラム砦の伝説
作っても作っても崩れる砦の人柱となった若者の物語だが、やはりパラジャーノフ監督の「ざくろの色」「火の馬」に比べまとまりがない。グルジアの民俗音楽だけでなく、各章の頭にはアンビエントでドローンな音楽も使われ(悪くないが繰り返しが多すぎ)、民俗音楽だけだったらタイムレスな作品となったはずの作品の力を弱めている。とはいえ、上記二作品にも共通する、息をのむほど完璧な構図の連続と、音楽や台詞に合わせて振付された動き、心地よいリズムの編集は素晴らしく、監督は自然さえもコントロールしているのではないかと思ってしまう。アドリブで撮影された、生のエネルギーが感じられる映画も大好きだが、パラジャーノフ作品を見ている間は「リアリズムなんてくそくらえ」と思う。

Companyカンパニー
2006年11月にブロードウェイで再演オープンしたソンドハイムのミュージカルが、2月にPBSテレビで放映された。35歳の誕生日を迎えた独身の遊び人ボビー(ラウル・エスパーザ)に向けて、既婚の友人たちが結婚について語るミュージカル。スケッチの寄せ集めなので、やはりソンドハイム作の「スウィーニー・トッド」に比べまとまりはないが、”You’re always sorry, You’re always grateful “”You don’t live for her, You live with her” “You always are What you always were, Which has nothing to do with, All to do with her” と歌う”Sorry-Grateful”や”Another Hundred People” ”The Ladies who Lunch”など結婚生活や都市の孤独(既婚独身にかかわらず)を描いた数曲は連動して感動を与える。NYを世界の中心と思い込むことや皮肉など、それぞれの登場人物は鎧をまとい武装しているが、鎧の下にあるのは傷つきやすい心であることが伝わってくる。ジョン・ドイルの演出は、ボビー以外全員に楽器を持たせる。ボビーは不器用にもカズーを吹いて既婚の、または結婚していく友人たちの仲間入りをしようとするが失敗に終わる。が、最後にはピアノを弾いて歌いだす。とはいえ、決してハッピーエンドではないのだが。

スウィーニー・トッド」ブロードウェイ版(1982年)
基本的に舞台をそのままTV用に録画してあり、映画作品としてはティム・バートン版にかなわない。舞台用の歌と演技は小さい画面には大げさすぎるし、映画版の方がテンポが良い。役者の声が大きすぎ、素晴らしいスコアが聞こえにくいのも残念。が、慣れてくるとそれらも気にならなくなり、歌の素晴らしさを堪能し、舞台と映画の違いを比べて楽しめる。生の舞台はさぞ良かっただろうなあ。
舞台版は優れた歌唱を前面に出し、映画版のオーケストラ音量が比較的大きいのは、プロの歌手でない歌をカバーするための賢い選択でもある。どちらにしても、もともとの音楽が良くなければできないことで、どちらのアプローチも楽しめる。映画では、同じテーマが別の曲で入れ子のように繰り返されていく、天才的な音楽の統一感がより伝わってくる。バートンの映画といちばん違うのは、出演者がプロの歌手なので歌がうまく発音も明確で、映像の助けなしに歌だけで、観客の前に視覚的に物語を提示できることだ。「My Friend(再び剃刀を手にしたトッドの歌)」「Epiphany」「A Little Priest(トッドとラヴェット夫人が人肉パイについて歌う)」とクライマックスは鳥肌が立った。
映画版はジョニー・デップの作品で、この舞台はロヴェット夫人役アンジェラ・ランズベリーの作品だ(トッド役のジョージ・ハーンも良かったが、ランズベリーほど印象的ではない)。へレム・ボナム・カーターのように可愛らしくなく、下町のおかみさん風なだけに、殺風景なトッドの床屋にデイジーを飾ろう、と彼への愛を込めて歌う乙女らしさが生きてくる。判事役はここではただの悪人で、映画版のアラン・リックマンのような、自分の悪を知りながら悪事を犯す興味深い人物ではない(映画版ではリックマンのために台詞が追加されている)。グリークコーラス的でもブレヒト的でもある、中心人物について歌うアンサンブルが物語に厚みを出しているため、気にならないが。ジョアンナ役は処女にはどうしたって見えないが、ナイーブでは生き残れないという世界のヒロインにはふさわしいかもしれない。
映画と舞台の演出の違いも興味深い。舞台では1階のミートパイ屋と2階の床屋を始め、階段や橋を利用して、違う場所にいる人物を同時に見せられる。映画と比べ、物事を具体的に見せる必要が少ない舞台では、逆にまだ実現していないことを演じることもできる。「A Little Priest」では人肉パイの味見をしながら歌っていて、分りやすかった。最後に、死んだ人たちがゾンビのように生き返り、みんなで歌う場面はブロードウェイのお約束であると同時に(映画では嘘くさすぎて無理だ)生者と死者の境の曖昧さをも表現していて、これにも鳥肌立った。

リンダ リンダ リンダ
日本でしか通用しない映画。急ごしらえのバンドで文化祭に出演することになった女子高校生たちの物語。下手なバンドが練習して、体育館の生徒たちを沸かせるという大筋の他にも、恋愛とか色々ある高校生活という視点は良く分かるが、テンポが遅すぎる。2時間近いが、1時間10分でその視点を十分生かせたはず。肝心のバンド練習をあまり映さず、焦点もぼやけている。急に練習してうまくなるレベルとは思えない最初の下手くそさも、一生懸命練習すればなんとかなる、という「フラガール」など日本人にありがちなナイーブさの現われのようで不愉快。ミュージシャンの私から見たら、いくらパンクでも、ある程度才能がないと音楽はうまくならない。バンドメンバーの内一人が、好きな男の子を何時間も待たせておきながら、シャイで告白できない、というのも理由もなく待たせておいてなんて失礼な、と思ってしまう。告白しなくても相手に気持ちは通じている、という日本的さ。クライマックスが来るかわりにスローダウンして、変てこなギャグ(夢に出てくるラモーンズなど)に走るのも、大きな流れより変なガジェット系にこだわるようなノリで、すごく日本的。それでも実は「リンダリンダ」を演奏するラストは泣いてしまった。映画の中のバンドに感情移入したわけではなくて、この曲が流行っていた当時の思い出や感情にスイッチが入ったからで、曲の力に頼りきっている。でもこれがラモーンズでいうなら「BlitzKrieg pop」のような、誰もが知っていて大好きな曲、ってことが実感できない観客(横で見ていたアメリカ人の夫のことだ)にはピンとこないだろう。