Funny Games オリジナル & リメイク

マイケル・ハネケ監督が1997年に撮った「ファニーゲーム」は好き嫌いが両極端に分かれる作品だが、私にとってはサイコホラー映画のオールタイムNo.1だ。別荘に遊びにきた裕福な家族を異常人格の殺人者二人組が襲う設定は「ケープ・フィアー」に似ているが、映画の中だけの存在と割り切ってしまえない、はらわたと脳みそにしみる不条理な暴力は、観客を非常に不安にさせる。手を変え品を変え、最初から最後までものすごい緊張感の連続で、頭脳レイプのようだ。「インテリのためのテキサスチェーンソー」「非常に洗練された映画的サディズム」とも評される。

言葉と身体の暴力が描かれ、致命的な肉体的暴力の場面はオフスクリーンで起こるが、ショック効果は全く薄れていない。犠牲者家族も殺人者二人組も完璧な演技だ。DVD収録のインタビューによると監督は、犠牲者は悲劇を、殺人者は喜劇を演じるよう、役者たちに要求した。二つの要素を一緒にすると、一般人が普通に生活を営むためのルールが通用しない世界ができあがり、嘲笑と暴力との間に挟まれた観客はどちらを見ていいのか困惑する。殺人者の片割れポールは「映画の中の暴力」の構造を明らかにしていき、作品中の犠牲者だけでなく、観客自身の感情も監督に操られていることも知的な衝撃となっている。

監督自身によるハリウッドでの英語版リメイクが3月15日から公開されている。字幕を読まなくていい分、殺人者がかもし出すユーモアがより味わえるのではと期待したが、激しく失望した。批評家にも評判が悪い。全場面がオリジナルと全く変わらない構成で、時間と才能の無駄だ。次に何が起こるのかすでに分っているので衝撃はなく、不快感だけがある。リメイクでなく続編を作るべきだった。ハネケは基本的にはとても頭のいい監督だと思うが、作品によってはギミックに走りすぎることもあり、せっかくの頭脳を常に効果的に使っているとはいえない。これだったら、知的抜きの衝撃が売り物の「ホステル」のほうがよっぽど面白い。

ユーモアに関しては、殺人者が漫画の主人公の名前で呼び合うなどの細部が、字幕を読む必要がない分、多少すっと理解できたが、オリジナルと大きな違いはない。作品の恐怖は、殺人者たちの話しぶりの丁寧さと、普通の人間のルールが通用しない残虐行為のギャップからきており、それはドイツ語音声&英語字幕からでも十分伝わってくるからだ。
犠牲者も殺人者側もオリジナルよりルックスは良く、犠牲者家族の夫にティム・ロス、妻にナオミ・ワッツ、殺人者ポールにマイケル・ピットとスターを起用したのは間違いだ。字幕を読む必要がない分、殺人者ポールが観客に語りかける図式(映画の中の暴力は映画の中だけに存在するのかどうか、観客を不安にさせるデバイス。このデバイスなしでも意図した効果をすでにあげており、本質的ではないと私は思う)がオリジナルより明確になっているにもかかわらず、スターの起用により、作品の中の暴力は映画の中だけの作り事になってしまう。殺人者二人の性格の違いも(スマートなのと間抜けなヤツというコメディアンのような役割分担)オリジナルより鮮やかではなく、面白みが薄れている。
場所は特定されていないものの、英語&ハリウッド映画スター起用から、当然アメリカだろう。なのに、ヨーロッパから舞台を移行する詰めが甘く、アメリカに暮らしている者にとっては、作品の恐怖を身近に感じる妨げになっている。いつまで別荘にいるかという隣人の問いに対し「1-2週間」と答えたり(1ヶ月夏休みがあるヨーロッパと違い、アメリカの勤め人の休みは長くて2週間)ナオミ・ワッツの着る馬鹿馬鹿しく大きいニットのベスト。10年前のヨーロッパで、下着姿の追われる者がとりあえず目についた服(たぶん旦那の物)を着るという設定にはまっていたが、そのまま現在のアッパー・ミドル階級のアメリカに持ってくるのは不自然さだけが悪目立ちする。


Benny’s Video ベニーズ・ビデオ
ハネケの'92年の作品。「ファニーゲーム(オリジナル)」のポール役の俳優が、豚を殺すビデオを何度も見ているうちに「実際はどうなのかと思って」少女を殺してしまう14歳の少年ベニー役を演じている。殺人を犯し、両親がその後始末を話し合うまでの前半は良いが、後半は面白さよりも、ビデオに映されたものが現実よりも現実に思えてしまう倒錯を描くためのギミック優先。やはりフィクションと現実の危険な境界を描く「ファニーゲーム」を見たら、見る必要のない作品だが、殺人者ポールの誕生としては興味深い。