賭博者,幽霊,銀行強盗

The Homecoming 帰郷

ブロードウェイで再演中の舞台。ハロルド・ピンター作でブロードウェイ初演は1967年。ピーター・ホールが演出した1973年のビデオが鳥肌立つほど良く、この再演も好評なので見に行った。悪くないが、出演者全員のロンドンなまりが本物でないせいか、背筋の凍るような緊張感は薄れている。アメリカで哲学教授をしている男と妻と、ロンドンの労働者階級に属す父と兄弟との階級の違いが、異なるアクセントによって表されているのだが、何しろ出演者の一人である運転手サムは「スパイナルタップ」で偽ロンドンなまりをしゃべっていたアメリカ人喜劇俳優マイケル・マッキーンだ。それでも、ポスターの図柄そのままに、教授の妻役イブ・ベストが椅子に座ってきれいな足を組みかえ、男たちに対して性的優位を主張する、生の足の存在感は舞台ならでは。

The Gambler 賭博者

ドストエフスキーの同名の中篇を元にプロコフィエフが作曲したオペラ。同じ週に見たThe Homecomingはストレートプレイ向けの比較的小さな劇場での上演で、荒涼とした内容のせいもあり、観客席のエネルギーはいま一つだったが、METで上演されるオペラは、大劇場の大人数の観客から湧き出てくる熱気を感じるだけでも楽しめる。ヨーロッパのリゾート地を舞台に、ギャンブルに狂う人々を描く内容もなかなか面白かった。賭け事に限らず、酒や麻薬などに執着し中毒する人々を描く映画は「失われた週末」や「レクイエム・フォー・ア・ドリーム」など傑作が多い。巨大な金属のルーレット盤の骨組みが吊るされ、その影だけが緑の大きなテーブルに映る。テーブルの真ん中にはディーラーが神のようにそびえ立って、客たちのチップを大きなT字型の棒でかき集める。やがて盤の骨組みが降りてくる。賭け事に勝ったが人生に負けた主人公は「市民ケーン」の場面のように、札束を空中に撒き散らして立ちつくす。

雨月物語

非常に日本的なのに、フェリーニのような世界共通の地に着いた味わいがある。京マチコの映画史上に残る幽玄な色気がすごい。小林正樹の「怪談」と比べると、より肉の味がする。「火星から来た男と金星から来た女」のすれ違いを描く。戦乱の世の中を背景にドンと金儲けすることに情熱を燃やし、そうすることで女房も喜ぶと思う亭主と、家族つつましやかに暮らせれば他には何も望んでいない妻。結婚生活経験者には身にしみる。主人公の男の情熱を理解するのは現実世界の妻ではなく、幽霊だという皮肉。

The Ghost and Mrs. Muir 幽霊と未亡人
これも、男女が真に理解できるのは現世ではないという法則にのっとった話だが、40年代ハリウッドの幽霊話の雰囲気はずっとロマンティック。言葉が汚く洞察力の鋭い、元船乗りの幽霊レックス・ハリソンが格好良い。

The Man Who Outgrew His Prison Cell by Joe Loya

4人のアウトサイダーたちを描いた、あまり出来の良くない最近のドキュメンタリー映画「Protagonist」で、唯一共感でき印象に残ったのが、父を殺し(未遂に終わるが),24件もの銀行強盗を働くという、4人の中で一番過激な人生を送ったメキシコ系アメリカ人ジョー・ロヤだった。この彼の自伝も過激な内容ながら、生い立ちとその結果にいちいち納得がいく。

サディストで偽善者の父親は、教会の指導的立場にあるが、家庭では子供と妻に言葉と身体の暴力を振るう (言葉プレイ含む)。子供には「右の頬を打たれたら左の頬を向ける」キリスト教の教えと同時に、それと矛盾する「殴られたら殴り返す」マッチョさを奨励。その上、9歳の時に母親が病気で亡くなり、ロヤ少年の自己は迷い引き裂かれる。父は再婚したが、彼の家庭内暴力はひどくなる。暴力を振るうたびに泣いて悔いるが、また暴力を振るう。暴力の輪を断ち切る手段として暴力しか思いつけないよう育てられた16歳のロヤ少年は、父親を刺すことにより父の言葉を奪い、ロヤ少年の中に言葉が生まれた。殺人未遂後、警察の保護下に入った少年が最初にしたいと思ったことの一つが、未遂について書くことだった。が、ロヤの中に真の作家が生まれるのには、その後の刑務所体験が必要になる。社会の勝ち組に属することを強く意識するあまり、メキシコ人を始めとする移民に不利な法律を支持するレーガンに投票。母の死後、母性に餓え、初体験も比較的早かったが、その一方で、煙草を吸い酒を飲む女は売女と思う。やがて、「言葉は神とともにある」全能感を追体験するため、連続銀行強盗になる。7年の刑務所生活では仲間の囚人が殺されたり、独房で強烈な孤独に悩み、作家との文通を通して自己を振り返ることで、自分の意志により自分の行動(または行動しないこと)を選ぶ自由を初めて味わい、自己を律し、暴力から解放される。