実録 連合赤軍 あさま山荘への道程United Red Army


1972年のあさま山荘事件に至るまでの連合赤軍の成り立ちと軌跡を、ベトナム戦争日米安保反対闘争など学生運動を取り巻く、60年代からの日本と世界の社会的背景の中で描いたドキュメンタリードラマである。
3時間10分を食い入るように見た。事実とフィクション・演出の境がしっくりこない部分もあり、完璧とはいえない作品だ。例えば、あさま山荘に立てこもった16歳の少年の台詞。警察との最後の銃撃戦の前に、山岳ベースでの12名にも及んだ同志殺しを思い起こし、彼らの血を受け継ぐために闘うと言う仲間たちに「今さら落とし前がつけられるのか!俺たちみんな、勇気が足りなかったんだよ」と叫ぶ場面。「(山岳ベースに)水筒を持参しなかった革命的認識の欠如について自己批判する」といった真剣かつ幼稚な、事実に基づいた台詞に比べて、明らかにフィクションだと分かってしまう。一筋縄ではいかない事実を、きれいにまとめているようにも聞こえて、感動的なクライマックスのはずのところで引いてしまった。ジム・オルークのポップな音楽も、いかにものシリアスな弦楽四重奏なんかよりはましだが、完璧なチョイスにも聞こえない。
それでも、見終わって夜中目が覚めると、「総括」という名のリンチ殺人をとりつかれたように命じたリーダーの森恒夫永田洋子(ブスな女のきれいな女に対するジェラシーを「総括」に託した怖さ。いちばんきれいだった重信房子は国外に出てしまうのだが)だけでなく、命令を断れず仲間殺しに加担した連合赤軍(兵士、とはとても呼べない若者たち)一人ひとりの顔が目の前に浮かんでくる。60年代から70年代前半にかけての時代の空気がぐんと近くに迫ってきて、その頃のどんな映画を見ても以前とは違って見える。
「さそり」は明確な例としても、東映ヤクザ映画にしてもピンキーバイオレンス物にしても、この激動の時代にして反骨的な映画ありの世の中だったことが実感できる。フィルムフォーラムの仲代達矢特集で最近見た、岡本喜八の68年作品「斬る」にも、何度も見ているのに意外な発見があった。藩内にクーデターを起こそうとして山に閉じこもる若侍たち、彼らを消すために雇った浪人ともども彼らを皆殺しにしようとする体制側(双方のやり取りには、機動隊とゲリラが拡声器でしゃべっているような音響効果が与えられている)という構図は当時の学生運動そのものだ。もちろん、岡本監督の時代を超えた反骨精神が根底にあるわけだが(それにしても、「斬る」のカッティングの妙には神が宿っている−たぶん神のいない世の中で)。
あさま山荘事件は1972年2月28日に終わり、その年の5月に沖縄が返還された。あさま山荘事件後に同志殺人が明らかになり、残った活動家の間では党派間での内ゲバが繰り返されて、学生運動に対する一般への認識も地に墜ち、運動は下火になる。その後の日本は、アメリカが占領していた時よりも精神的にはかえって骨抜きになり、アメリカの植民地のようになってしまった(村上隆の作品は、ものを考えなくなった日本人への皮肉そのものとなっていると、彼の作品展の感想を7月12日にも述べた)。
ジャパンソサエティで7月2−13日まで開催中の、新作日本映画特集「Japan Cuts」の一環として上映され、7/6の上映後には若松監督とのライブビデオによるQ&Aが、私が行った7/8の上映後には脚本家の一人である掛川正幸のQ&Aがあった。若松監督はその作品に含まれたメッセージから、当時の反体制的な若者に支持を得ており、60年代に多くの若松作品の脚本を書いた足立正生は後に日本赤軍に加わる。かといってノスタルジアべったりにならず、世のため人のための社会改革を真剣に考えていたが、非常に幼稚だった若者たちに心を寄せながらも、彼らの卑小さをこれでもかと突き放して描いている。作品同様に昔を美化する気はちっともないが、今の私たちに彼らの真剣さはあるだろうか。ジャーナリストである掛川氏が編集した同名の本も、映画とその背景をさぐり、歴史の中での学生運動の意味を考える資料として一級。
http://www.japansociety.org/content.cfm/japancuts