アマート・オペラ、60年の歴史に幕


60年もの間、手作りのオペラをNYで上演してきたアマート・オペラが5月31日、「フィガロの結婚」で幕を閉じた。メトロポリタン・オペラのような世界的な知名度も規模もないが、ニューヨーカーに長年愛され、多数の若手を育ててきたカンパニーだ。

イーストビレッジにある劇場の前を通るたびに、いつかは見ようと思いつつ、NYに住んで早14年。今年1月に突然閉鎖が発表され、あわてて切符を買った。5月23日の「フィガロ」は、私が見た中で最もチャーミングなオペラだった。劇場は地下にあり、107ある客席の後ろ数列は折りたたみ椅子だ。舞台は、小さな小学校の講堂のステージ程しかない。フィガロにスザンナ、伯爵夫妻といった主役はそれなりの歌と演技だが、脇役のレベルにはかなりムラがあるし、キーボードに管楽器数名の小さなオーケストラの演奏も常に最高とは言い難い。それでいて、キャストの一人ひとりからも、手作り感覚あふれるセットからも、オペラに対する愛が伝わってくる。しかも切符代はたったの35ドルで、全4幕をがっちり上演するのでは、文句の言いようがない。

原語のイタリア語ではなく、英語で歌われているので、メロディーに乗りにくい箇所もあるし、イタリア語で歌ったほうが、観客には意味が分からなくてもうまく聞こえたかもしれない。それでも、字幕を見なくていいというのは強みで、イタリアの村祭りで歌自慢たちの歌を聞いているような、家庭的な楽しさが伝わってくる。第3幕と4幕の終わりに、アンサンブルを含め約30人のキャスト全員が同時に出演すると、彼らは舞台袖にまであふれ、客席通路からも歌手たちが登場する。開演前に案内係を務めていた女の子の顔も舞台に見える。フィナーレには、「ブルーマン・ショウ」のように紙吹雪と風船が客席にまで飛び交い、METなどの大劇場では味わえない親密さがあふれる。オフ・オフ・ブロードウェイのオペラ版と言ってもいいが、この規模のオペラカンパニーは稀であり、オペラは着飾って見に行くものだという固定観念をうれしく覆す、奇跡のような存在だ。創立者のアンソニー・アマート氏が登場すると、観客はスタンディング・オベーションで応えた。

アマート・オペラは1948年、オペラ好きが高じてアマート夫妻が創立したカンパニーだ。グリニッジビレッジでスタートし、1962年から現在のバワリー通りの劇場に落ち着いた。同じブロックには数年前まで、有名なロッククラブのCBGBがあった(今ではジョン・バルバトスの高級ブティックになっている。歴史を踏まえたロックな内装になっているのが救い)。NYの歴史がまた消えていくのは寂しいが、閉鎖の理由はCBGBと違い、金銭的なものではない。

アマート氏は演出と指揮を殆どの公演で行い、妻のサリーは照明・衣装・資金調達を担当して、一年に平均約6作を上演し、計数千回もの公演を行ってきた。約60作のレパートリーの殆どは「フィガロ」のような有名作品だが、あまり上演されることがない作品も手がけた。土曜の昼には、子供向けの短縮版オペラを上演して人気を集めてきた。

2000年にサリーが亡くなってからは、姪が彼女の仕事の一部を引き継いできたが、アマート氏は「人生の新たな章を始めたい」と今年1月ついにカンパニーの閉鎖を宣言し、劇場を売却した。88歳という年齢にもかかわらず、アマート氏の宣言は引退を意味しない。若手指揮者・演出家・歌手に奨学金を提供する財団設立の予定をすでに発表し、回想録執筆やスコアの勉強(特にワグナー)もしたいと語っている。私は、全くもってチャーミングな「フィガロ」を見てから、セットや衣装だけでも保存できないのだろうかと心配していたが、その問題は解決しそうだ。アマートに出演してきた歌手の一部が「アモーレ・オペラ」としてカンパニーを続けていくことが最近発表されたからだ。新たな劇場を探す必要はあるが、長年アマートで使われてきたセットと衣装の取得に関しては、アマート氏と交渉中とのことだ。