ベティ・ブープ@Movie Palace

1929年に建てられたニュージャージーの映画館Loew's Jersey Theatreで6日、ベティ・ブープルーニー・チューンズなど往年のアニメ短編映画がまとめて上映された。一生に何度あるかという位の素敵な「映画に出かける」体験だった。

歴史的建造物である、この映画館の存在を私が知ったのはつい最近である。1920年代、ハリウッドのスタジオは、まだ新しい芸術だった映画、そして映画を見る経験自体をプロモートするために、Movie Palaceと呼ばれるゴージャスで大きな映画館を全米に建てた。それらの場所では、映画がレビューやボードビルと二本立てで上演されていた。Loew's Jersey Theatreにはデューク・エリントンや、後述のベティ・ブープ作品に登場するキャブ・キャロウェイも出演したことがある。隣町ホーボーケン出身のシナトラは、ビング・クロスビーのショウをここで見て、歌手になることを決意したという。1950年代末までに、映画館の主流は飾り気のない郊外の劇場に移り、全米のMovie Palaceの殆どは閉鎖された。他のパレスより長く存続していたこの劇場もシネコンに押され、1986年には取り壊されそうになった。が、6年間にわたる市民活動が劇場を救い、ジャージー市はついにディベロッパーから劇場を買い取った。現在は、ボランティアが運営や修理を行い、名作を中心とした映画上映とイベントが行われている。 http://loewsjersey.org

50年代のSF映画「Journey to the Center of the Earth」を4月に見に行った夫から、劇場の素晴らしさを聞かされていたが、実際の体験は予想を上回るものだった。時計台が付いた中世の城のような外観、劇場名と上演映画を表示した昔懐かしいスタイルのマーキー(玄関ひさし)、黄金に輝くボックスオフィス(使われていなかったが)やシャンデリアがきらめくロビー。これらだけでも十分味わい深いが、本当の驚きは、客席数3100という劇場の桁外れな大きさにある。趣深いが修理が必要そうな天井を見上げながら、シネコンよりかなり暗い通路を歩いていくと、度肝を抜くほど高い吹き抜けの天井が出現する(後方座席の上はバルコニー席になっている)。ヨーロッパの大聖堂やホグワーツ城の広間を思わせる、人間離れのした高さで、大スクリーンの高さの2倍はある。スクリーン横では、黒髪オールバックのレトロな白スーツのオルガン奏者が、白い劇場用パイプオルガンを弾いている。オルガンの何と小さく見えることか。だだっ広い劇場の中でオルガンの白と金、その音につれて動く上空のふいごだけがオレンジ色に光り、宇宙船の中みたいだ。ようこそと呼びかけるオルガンの音を聞いていると、アドレナリンが急上昇してくる。映画に出かけることが特別な娯楽だった30年代の観客の、これから始まる映画への期待が乗り移ってくるようだ。

最初に上演したのは、ベティ・ブープ登場以前の無声映画「Koko's Earth Control」で、オルガン伴奏突きでの上演。ベティの相棒の道化師ココと犬のビンボーだけが登場する短編。世界に終わりをもたらす機械をビンボーが動かしてしまうという、シュールで都会的なSFで、フライシャー・スタジオ得意の実写カットの使用や、ヒッチコックの「めまい」を思わせるサイケでグルービーな顔のアップもある。辻褄を付けて終わらせようとしない、パンクな勢いもすごい。ベティ・ブープの劇場用映画はビデオで殆ど見たが、これは初見で、大変な掘り出し物だった。 

オルガンが舞台下にするすると消えていくと、ベティ・ブープの登場だ。初めて大画面で見たベティは圧倒的だった。1932年に登場してからの数年間、「ヘイズ・コード」の規制で大人しくされてしまう以前のベティ・ブープは、マリリン・モンローと並ぶ映画史上最高のセックス・シンボルだと思う。インターネットポルノや「プレイボーイ」のなかった当時の衝撃は、さらにすごかっただろう。顔よりも声、胸よりも脚のセックスアピールが強いのも大人向けだ(胸が大きくないのが女性にも人気の秘密だと思う)。無生物までが踊りだすシュールで自由奔放なジャズエイジの精神とリズムを体現し、性的魅力にあふれるイドの大パーティーのような作品群だ。

1932年〜1934年に制作された、ベティ・ブープ黄金時代の選りすぐりの劇場用短編6作品も上演された。
「Bimbo's Initiation」:カルト集団に勧誘されたビンボの逃避行を描き、フロイド的シュールさがジャズに乗って全開。
「I'll Be Glad When You're Dead You Rascal You」:ルイ・アームストロングと彼のオーケストラ(実写)が登場し、アームストロングが巨大な野蛮人の頭となって歌いながらココとビンボを追いかける。黒人=土人という当時の偏見そのもののような配役だが、それを承知の上で笑い飛ばすような、アームストロングのエネルギッシュな歌声が素晴らしい。「あんたみたいな悪者が死んで良かった」という意味の題名は作品の落ちにもなっていて、彼のウィットに富んだ声で語られる。
Betty Boop's Rise to Fame」:記者がマックス・フライシャーにインタビューし(実写)、フライシャーがベティを描いて、初期の傑作三作のソング&ダンスナンバーを演じるよう頼む。「Stopping the Show」はベティが当時の有名人を真似るヴォードビル・ショウで、ジーグフェルド・フォーリーズのスターだったファニー・ブライスの「I'm an Indian」をインディアン娘の姿で歌う。モーリス・シュヴァリエの歌真似は、ディートリッヒのようなタキシードでキュートに演じ、何とも言えないエロティシズムをかもし出している。サモアが舞台の「Bamboo Isle」は、ベティのフラダンスが卒倒しそうなほどセクシーだ。見えそうで見えない小さな胸と、早いステップで激しく交差する、すだれ状のスカートと共に揺れる脚。画面では、花が恥じてというよりは、あまりの刺激に目を覆ってしおれる。フライシャーのペンには尻が生え、耐えかねたように踊りだす。「The Old Man of the Mountain」ではキャブ・キャロウェイが山に住む怪人を演じ、ベティと一緒に彼のヒット曲「Minnie the Moocher」を"You've Got to Hi-De-Hi"と掛け合いしながら踊る。スチュワーデスみたいなベティのドレスもキュート&セクシー。

「Minnie the Moocher」:キャブ・キャロウェイと彼のオーケストラが登場(実写)。セイウチの幽霊となったキャロウェイは、彼の十八番であるダンスステップを踏みながら、ベティと「Minnie the Moocher」を歌う。アームストロングもいいが、当時の自由で狂騒的なジャズ文化を体現したキャロウェイとベティの相性は抜群。

「Ha! Ha! Ha!」:これも「Betty Boop's Rise to Fame」同様にメタアニメ的演出で、フライシャーがベティをインク壺の中から描く。ココはインク壺から逃げ出し、フライシャーが残していったチョコレートを食べ、虫歯に苦しむ。ベティは歯医者のセットを描いて、治療しようとする。笑いながらペンチで虫歯を抜こうとするベティは、セクシーでありつつも恐ろしい。闘牛のような奮闘にもかかわらず、治療は成功せず、笑気ガスの栓をひねって、ココは笑い出す。ベティも笑いだし、ついには町中の人々(実写)だけでなく車や墓石までがヒステリックに笑い出すという、シュールでクレイジーなドラッグ物。

題名は忘れたが、クリスマス物で、歌詞に沿ってはねるbouncing ballを追いながら、画面と一緒に観客が歌う作品も上映された。bouncing ballは、フライシャー・スタジオが発明したアニメ技法で、映画だけでなく音楽やショウの実演も映画館で行われていた当時の雰囲気を反映した技法といっていいだろう。レトロさを表すギャグとして、最近の映画やテレビで使われているものしか見たことがなかったので感激して、一緒に歌う。ちなみに、前述のキャブ・キャロウェイのダンスステップを写すなど、実写フィルムをフレームごとにトレースするロトスコープ技法も、マックス・フライシャーの発明だ。最近の映画ではキアヌ・リーブス主演の「A Scanner Darkly」に使われている。

ワーナー・ブラザース制作のルーニー・チューンズとメリー・メロディーズ数作も上演されたが、ベティにはかなわない。
ワグナーのオペラをパロディ化した1957年の名作「What's Opera, Doc?」は少々雰囲気が違うものの、ルーニー・チューンズもメリー・メロディーズも、基本的にはハンターのエルマー・ファッドがバックス・バニーを追いかけたり、コヨーテがロードランナーを追いかけるなどワンアイデアのドタバタだ。絵的には、ベティの白黒に対しカラーで、アニメーターの数もベティの2人から4人に増え、より複雑になっているが、作品全体の印象は逆に単純で幼稚になっている。ベティ・ブープ作品より後に作られたと思われるが、時代が逆行してしまったようだ。キャラクターが曲に合わせて動く、ジャズのミュージックビデオ的な要素もあるベティ・ブープ作品とは対照的に、スコアはキャラクターや物語に合わせて緻密に作曲されているが、その労力にもかかわらず、作品全体としては単純で一本調子だ(スコアだけ聞いたほうが、ロードランナーが「ミミ」と言いながら逃げていく繰り返しもおかしかったりする。)。最低限の線と音楽、声で最大限の効果と複雑な感情を表現しえた初期のベティ・ブープ作品とは全く逆だ。犬のビンボが恋人で、衣装は露出度が高く、男装もするベティは都会のフラッパーの性的自由を体現しているが、ルーニー・チューンズとメリー・メロディーズでは、セックスは殆ど無視されている。バックス・バニーの女装がギャグになる程度という、ワーナー的マッチョさだ。まあ、「追っかける」という行為は男の性衝動そのものの表現ではあるが、とにかくあからさまな性表現はない。劇場に来ていた子供にはベティ・ブープよりは受けており(現在もテレビ放映しているし)、私も決して嫌いではないが、都会の大人のアニメだったベティ・ブープに比べると、男の子及び男の中の少年に向けた作品のような気がする。また、1930年代という雰囲気を色濃く表したベティ・ブープの方が、よりタイムレスな設定のルーニー・チューンズよりも現代的に見える。アメリカのメディアが保守化したという例でもあり、不況期という現在との共通点のせいもあるかもしれない。

やはりフライシャー・スタジオ制作の「ポパイ」も一作品上映された。大画面のベティを見た後では、オリーブの醜さが気になる。美女ではない彼女をポパイが毎回助けること自体がジョークになっているのは、ベティを越えるヒロインは作れないと判断したスタジオの知恵かもしれない。随所にフライシャー・スタジオらしさが見られるものの、かなり大人しくなっている。でも、子供の頃にテレビで何回も見た「ほうれん草を食べて筋肉モリモリのポパイ」が大画面で見れたのはうれしかった。

劇場隣の駅前バーで安ビールを飲みながら、映画の感想を夫と興奮してしゃべった。「レスラー」に出てくるバーからストリップの舞台を除いたような、単にかっこ悪くうらぶれた酒場。ニューヨークからハドソン川を越えただけで、こんなにバーの雰囲気が違うのは驚きで、これもまた違う世界が覗けて面白かった。