Cold Souls


自分自身を演じる役者(ポール・ジアマッティ)が、役作りのスランプを解消するために、悩める魂を取り出して保管するサービスを利用するという、「マルコヴィッチの穴」と「エターナル・サンシャイン」「Synecdoche, New York」を合わせたようなチャーリー・カウフマン的世界だが、それらの作品の水準には及ばない。
ギャグを交えながら作品世界を紹介していく、魂を吸い取るまでの導入部は悪くない。チェーホフの「ワーニャ叔父さん」の役作りに行き詰っているジアマッティは、いかにも悩める魂の持ち主に見える。「2001年宇宙の旅」を思わせる、白いMRIスキャナー風の魂抽出装置や、保管のための税金を安く上げたければニュージャージーで預かるという、もっともらしい医者の説明がある。抽出された彼の魂はヒヨコ豆大しかなく、「大きさは問題じゃない」と慰められる。
が、ロシアの魂密売組織とその女運び屋が絡み、ジアマッティが自分の魂を探しにロシアに行く羽目になる物語が展開しだすと、いかにも初監督作品らしく(=ソフィー・バルト)ギクシャクしだす。魂が空っぽで何も感じないと、役者としても夫としても都合が悪いため(感情の起伏を抑えると言う点で、抗鬱剤の比喩になっている)、ロシア人の魂を入れ、その途端にロシアっぽくなるジアマッティは好演だ。が、借り物の魂との交流や脇役との絡みは下手に感傷的で、導入部のドライなユーモアと相性が悪く、添え物的だ。情けないジアマッティ(これは「アダプテーション」のような設定)がついに勇気を出し、自分の魂と向かい合う場面では、魂の中身はヒヨコ豆ほどにしか描かれない。作品全体もそのようだ。