The Cove ザ・コーヴ


和歌山県太地町の入り江(コーヴ)で秘密裏に行われているイルカ漁を告発した、「不都合な真実」と「オーシャンズ11」が合わさったようなエコ・ドキュメンタリーである。クジラやイルカの保護団体であるOPS海洋資源保護協会)が製作した、感情と理屈の両方に訴えかける、完成度の高いプロパガンダ映画で、手放しの共感や感動はできないが、オバマと駐米大使にイルカ保護を訴える手紙に、作品のサイトから署名させるだけの力はある。7月31日からニューヨークなど一部都市で公開中で、オープニングの週末にアートシアターに行ったが、メディアで絶賛されている割には、客の入りは半分ほどだった。

ただイルカ保護を訴えるだけでは、関心のない人は見向きもしないだろうが、エンターテイメントとしてもよく出来ている。60年代のテレビ番組「わんぱくフリッパー」に出演したイルカを捕獲・調教したリック・オバリーが作品のヒーローだ。彼は、自分の番組が世界中の水族館やマリンパークにイルカ・ショーを流行らせたことに罪の意識を抱き続けている。イルカは意識的に呼吸を行う動物だ。出演していたイルカの一匹が、ストレスのために自ら呼吸を止め、オバリーの腕の中で自殺した日から、彼は捕獲されたイルカを救うことに人生を捧げるようになる。

忘れられた変人セレブの贖罪物語だけでは不足だというように、スリラー的な演出もされている。イルカが追い込まれ、槍で虐殺される太地町の入り江は、崖とフェンスによって阻まれ、地元の漁民が監視を続けている。素潜りの世界記録保持者が水中マイクを設置し、「スターウォーズ」などの特殊効果で有名なILM社が偽の岩を作ってカメラを隠す。

オバリーのイルカの自殺は、事前に知っていた、入り江を地に染める虐殺場面よりも衝撃的だった。が、イルカと泳ぐことの素晴らしさをダイバーが訴える、美しいが陳腐な場面など、イルカが知能の高い動物であることを繰り返すので、うざったくなってくる。「オーシャンズ11」的な演出はうまくできているものの、最後の衝撃的なイルカ虐殺に持っていくまでの緩急が多少自己目的化した感があり、やや長すぎる。やはり強盗映画的演出のドキュメンタリーで、今年のアカデミー賞受賞作「Man on Wire」の方が出来が良い。

暴力に反対しているが、ドキュメンタリーも映画である以上、暴力を売り物にして集客している矛盾も感じた。だから、私の夫や同僚などのように、わざわざ金を払って動物虐待を見たくないという人たちもいる。シー・シェパードが日本の捕鯨船を妨害する様子を描く、ケーブルTV局アニマル・プラネットで放映中の「Whale Wars」もそうだし、右寄りのフォックスTVの戦争報道だって、程度と知能の差こそあれ、見世物としての心理は共通している。

水俣病の悲惨な歴史があるのに、日本人は太地で行われているイルカの捕獲・虐殺も、イルカに規制値をはるかに超える水銀が含まれ、時にはクジラ肉と称して売られていることも知らないと作品は言う。人体への悪影響という面からも、イルカ保護を訴えているわけで、見た直後は作品の意図通りに、日本人の無知と政府のずるさに怒ったが、時間が経つうちに複雑な感情を抱いた。もちろん、水銀汚染されたイルカ肉を売るのはいけないことだが、日本人が毎日イルカを全国で食べているわけではない。アメリカの妊婦に対する大型魚の水銀汚染についての注意の基準は、漁業国日本よりも厳しいように見える。例えば、水銀含有量が多いサメやメカジキなどの大型魚に対し、アメリカ政府は妊婦に食べるなと注意するが、日本政府は分量に気をつけるように言うだけだ。日本では、政府が漁業を保護しているわけだが、実際日本の妊婦がイルカ肉をドカ食いするだろうか? 予告編では、魚市場のマグロの解体が写され、それがイルカと言っている訳ではないが、イルカも同様であるという、姑息な作りのメッセージになっている。白黒はっきりさせる欧米流でなく、アジア的というか日本的な、政府見解と違うダブルスタンダードがあるような気がしないでもない。アメリカ人の健康や食生活についての知識は、超意識的な人とそうでない人の差が激しい。日本人の知識はある程度平均的だし、水銀以外にも体に悪いものは沢山あるから、バランス良く食べていればまあ大丈夫という面もある。それでも、伝統的で儲かる産業保護のためとはいえ、多数が食べてもいないイルカを殺すのは可哀想だと、結局感情論に戻ってしまうのだが。

国際捕鯨委員会IWC)における日本の主張と、イルカ保護側を代表するこの映画は、完全なすれ違いである。前者は、イルカはIWCが決めた保護対象でないから、イルカ漁は問題でないとし、後者はこんなに知能が高い動物が保護対象でないのが問題だと主張する。しかも、IWC日本代表が、イルカ漁の方法が改善され、効率的な方法で行われているとしゃべる場面を太地での虐殺の前に写し、日本人とIWCが嘘つきだという印象を与える。作品に登場する日本人は、太地の学校給食に水銀汚染されたイルカ肉を出すことをやめさせた議員をのぞき、悪人か、そうでなければ無知な存在として描かれる。英語が出来れば嘘つきで、太地の漁民や警察は英語が出来ない分、暴力的に撮影隊を追い出そうとする。

また西洋人は、イルカを一匹ずつ槍で突き殺すという行為の残酷さだけでなく、非効率さにも反感を覚えるのではないだろうか。トヨタの減量経営が世界中でお手本になっていても、日本の日常生活は結構アジア的だ。夕食の買い物にしても、私の母親の世代は、週末にまとめ買いする代わりに毎日行って、それを無駄と思わずに、大変と言いつつも楽しんでいたりする。でも、少子化が進む中で、農業など産業の合理化は、世界での競争力を増すのに必要だし、非効率さが理屈だけでなく、感情的にも摩擦となっているとしたら、日本人は考えたほうがいいかもしれない。とはいえ、アジア人はイルカ虐殺に対して西洋より目くじらを立てなさそうだし、ただ西洋に価値観を合せるのでなく、どこか中間に新しい価値観が生まれたらと望むのは理想的に過ぎるだろうか。

エンドクレジットに、使い古されたデビッド・ボウイの「ヒーローズ」を使用したのは気に食わなかった。もちろん、「イルカと泳ぐ」「一日だけ僕らは(イルカ保護に対し行動することによって)ヒーローになれる」という歌詞が出てくるためだが、彼らの撮影努力は称賛に値するとしても、如何なもんだろう。日本で公開された場合に、自画自賛が反感を買うか、或いは白人を崇拝し、外圧に弱い日本人を見越しての選曲なのか、微妙なところだ。ちなみに、アメリカの白人メディアでは、監督のルイ・シホヨスがOPS海洋資源保護協会)代表であるという事実は殆ど報道されず、ナショナル・ジオグラフィック誌の元カメラマンという経歴だけが述べられ、同団体のプロパガンダであるとはあまり言われていない。