アイアンマン2


1作目は劇場で2回見たほど大好きだったので、とても期待していたが、大きくがっかりした。ダウニーJrのファンとしては言いづらいが、1作目で炸裂していた彼の魅力さえ減少している。展開に無理のある物語をようやくつなぎとめるほどには魅力的だが、作品全体の欠点を忘れさせるほどには、彼が演じるトニー・スタークも他の登場人物も魅力的ではない。有能な秘書グウィネス・パルトローとの絡みも1作目より不自然で、亡き父との確執を描くエピソードも感動させるほどに描きこまれていない。ミッキー・ロークはじめ、演技ができる役者がそろっているのにうまく活用できておらず、アクションよりドラマがはるかに多いのに、ドラマが平坦でつまらない。1作目の最後で期待させたニック・フューリー役サミュエル・L・ジャクソンも、いざ出番が増えたら期待はずれ。ニックが登場するマーベルの新作作映画「アベンジャーズ」の宣伝だろう。一番新鮮だったのは、新秘書で実はスパイのブラック・ウィドウ役スカーレット・ヨハンソンのアクション場面だった。すらりとしたアクション体型でない彼女がぴったりしたボディスーツでワイヤーアクションに挑戦すると、見るからにセクシーな普段の役柄とは違った、意外な色気がある。
基本的にアイアンマンが闘う理由が、親子2代で恨みのあるミッキー・ロークに攻撃されたから、自分の分身でおもちゃであるアイアンマンのスーツを政府やライバル企業に取り上げられようとしたから、という受身の理由であり、テロリストに誘拐されてから奇跡の生還を果たした1作目と違い、物語の展開に緊張感がない。トニーの心臓の問題も、繰り返されると危機感も薄れる。時間的に少ないとは言え、アクション場面がつまらないのも致命的だ。クライマックスのダウニーJrとドン・チードルミッキー・ロークの直接対決もあっけない。いい年したおっさんたちがパワードスーツ着て、たいした工夫もされていないアクションを演じるのは、中年になった特撮ファンが夜の公園で密かに自作自演しているのを見せられているようで、あほらしくなってくる。1作目が大ヒットしたプレッシャーからか、新たな筋書やキャラクター、武器を色々と不器用に詰め込んでいるが、パワーアップした感はなく、新鮮さに欠け、登場人物とその絡みが平面的に埋もれている。
ダウニーJrが1作目と同じほどセクシーで魅力的だったのは、パワードスーツのエネルギー源となる新型アークリアクターの研究に黙って専念する場面だった。表情だけで複雑な演技のできる役者なのにもったいない使い方だ。1作目では、リッチで飛びきり頭が良くセクシーでプレイボーイ、態度がでかいというトニーのキャラクターは、実際の実業界セレブからさほど遠くはないかもしれないというリアリティがあり、他の悩めるスーパーヒーローと違って魅力的だった。しかし、自分がアイアンマンであることを発表した後の2作目では、ビッグな態度とロックスター的な子供っぽさをさらにエスカレートさせ、「私は世界平和の民営化を成功させた(I have successfully privatized world peace.)」と国会で述べる場面は、タイム誌が述べるように「ウォール街のCEOほどに傲慢」で、鼻に付く。前作が公開された2008年5月には、彼は憧れの億万長者だったが、長期の不況を経験した現在では反感を買う存在でさえある。オバマが推進した、先進国では当たり前の国民皆保険制度に頑固に反対した、保険会社や製薬会社など大企業の利益を代表する共和党議員さえ連想させる。「アイアンマン」で大ブレイクした後の大作は、知性抜きの「シャーロックホームズ」とか(ダウニーJr自身の知性で何とか持っている)うまく彼を使いこなせていないようで、ファンとしては今後のキャリアが心配。
「アイアンマン」の連想からか、AC/DCモーターヘッドなどヘビーメタル系だった選曲も1作目では新鮮だったが、その繰り返しで、またしてもAC/DC(好きな曲だが)や全く印象に残らないオリジナル曲が使われ、退屈だった。1作目の成功にそのまま乗っかり、頭を使わずにボリュームだけでパワーアップしようとしたレイジーさは、音楽だけでなく、この作品全体に当てはまる。