ストラヴィンスキー・フエスティバルbyゲルギエフ


4月下旬から5月始めにかけて、リンカーン・センターのエイブリー・フィッシャー・ホールで「ロシアン・ストラヴィンスキー・フェスティバル」が開催された。「春の祭典」や「火の鳥」などロシア時代の有名な初期作品だけでなく、ストラヴィンスキーがロシアを離れてからの曲も演奏された。では、何がロシアンかというと、指揮者のワレリー・ゲルギエフだ。レニングラードマリインスキー劇場総裁で、現在最もスリリングな指揮者の一人であるゲルギエフは、土臭く力強くスケールの大きい、ロシアそのもののようなダイナミックで混沌としたエネルギーをNYフィルからひきだした。
私が見たのは、初日の「火の鳥」と最後から二日目の「春の祭典」だ。アイスランドの火山噴火の影響で、マリインスキー・コーラスのNY入りが初日に間に合わず(ゲルギエフ自身は自家用ジェットでコーラスの一部とNY入り)、予定されていた合唱曲「Les noces(結婚)」が聞けなかったのが残念だったが、そのせいか空席が沢山あったので、休憩後の「火の鳥」はオーケストラ席の真ん中という最上の席に移ることができた。組曲だけで、全曲を聞いたことがなかったが、40分を超える全曲は民話を元にした物語のスケールの大きさがより強く感じられ、ほんとうに火の鳥が飛んでいるようだった。他には「Jeu De Cartes(カルタ遊び)」と「管楽器のための交響曲」が演奏された。「Jeu De Cartes」は「Les noces」の代わりに演奏されたが、練習不足の割には聞かせた。

プーチンとも親しい、このカリスマ指揮者を生で見るのは初めてだったが、一見抽象的な右手のひらひらした動きに魅せられた。テルミンを演奏する手の動きを、蝶々が飛んでいるように柔軟にした動きで、ミュージシャンたちに具体的に何を指示しているのか言葉では言い表せないが、それでも彼らが即座に反応している不思議な言語だ。演奏の力強さとも相まり、不思議なセクシーさもある。写真は「火の鳥」の際のもの。ここでは右手ひらひらの代わりに指揮棒を持っている。
異教徒の儀式を描く「春の祭典」は前から4列目のかぶりつきで見たので、より頻繁にさらに熱っぽい手のひらひらをじっくり観察できたが、その謎はやっぱり分からなかった。バーンスタイン指揮では5番街を戦車が行進しているように聞こえる「春のきざし(乙女達の踊り)」の部分は超人的な速さで演奏され、混沌とした野獣のようなエネルギーが渦巻いている。その次の部分はぐっと遅くしてあるため、パーカッションの強打をとんでもなく効果的にしていて、席から飛び上がりそうになった。作品全体を通し、一つ一つの音が非常に明確でありながら、カオスが出現している。欲を言えば、フィナーレがもっと強力であって欲しかったが、曲自体があっさりした終わり方なのでしょうがない。ちゃんとした指揮者とオケなら、誰が指揮してもそれなりに良く聞こえる名曲だが、この晩の演奏は野獣度300%は軽く超えていた。この夜には他に、「3楽章の交響曲」「ピアノと管楽器のための協奏曲」が演奏された。