鬼の棲む館


新珠三千代が夢に出てきそうなほどすごい!勝新太郎高峰秀子佐藤慶の計4人が主演だが、この濃い面々を余裕でかすませている。とはいっても、それぞれに演技が巧みな人々の影が薄いということではなく、新珠三千代が尋常でなさすぎるのだ。ジャパンソサエティで去年の12月から月一で上演された雷蔵勝新のチャンバラ映画特集の最後を飾ったのが、三隅研次監督によるこのあまり知られていない傑作だった。佐藤慶の冥福を祈りつつ鑑賞。題名から、勝新が鬼のように暴れまわるチャンバラかと思っていたら、違った。さすがとうならせる彼のチャンバラ場面もあるが、それがメインではなく、基本的にはパゾリーニの「テオレマ」を連想させるような男女間の室内愛憎劇である。谷崎潤一郎の戯曲「無明と愛染」が原作。やはり谷崎原作の「鍵」とか大映映画の文芸路線は、ねちっこくてええのお。鬼は全員の心に棲んでいるが、新珠三千代には大鬼が棲んでいるという話。
戦乱の続く南北朝時代、太郎(勝新)は愛人の白拍子・愛染(新珠三千代)と都から山中の廃寺に逃れてきた。太郎の妻・楓(高峰秀子)は執念深く太郎を探し当て、彼を家に連れ戻そうとするが、戻らず、楓もそのまま居座る。太郎は贅沢好きの愛染に貢ぐために盗賊になり、無明の太郎として名をあげる。愛染は太郎を下僕のようにあごで使い、太郎は楓を女中として使うという分かりやすい力関係。使われる方が喜んで使われているのは、いかにも谷崎的SMな関係だ(楓は不満に思いながらもその状況に酔っているところもある)。愛染は京マチコに匹敵するすさまじい色気だけでなく、太郎が彼女を守るために落武者と大格闘した後は体のご褒美をあげたりと、飴とムチの使い分けも絶妙だ。ある日、廃寺に高僧(佐藤慶)が一夜の宿を借りにやってくる。楓は、夫が盗賊であることを打ち明け、立ち去るように伝えるが、僧は太郎を改心させると約束する。太郎は僧の言葉をばかにしたが、金の仏像が発する光線(!)に恐れをなして、調伏される。愛染は太郎の敵を取ってやると言い、色気で僧に挑む。愛染はかつて出家前の僧と馴染みの仲で、まずは昔の思い出から責めだすが、これは効き目がなく、酒をすすめる。仏門の身に酒は禁物と断られるが、酒も女も自ら経験しないで、どうして凡人が救えようかと、理論武装した高僧を言い負かす。色気だけでなく、頭も良い。酒でガードが緩くなったところに、容赦ない色気攻撃をかけられ、僧はついに陥落。愛染は着物の前を全開し、ほぼ全裸で両足を開いて立ち、髪をなびかせながら、勝ち誇った高笑い。本当に憎らしくなるほど小気味いい悪女ぶり。清楚な耐える役の印象が強い新珠三千代だけに、インパクトがさらに高まった。
楓が「あの女は鬼」と僧に告げ口するように、愛染は大鬼だが、嫉妬に暗く燃える楓の心の中にも、愛欲のとりこになっている太郎にも、愛染の色に負けた僧の中にも鬼が棲んでいる。でも、それぞれの鬼は違った形で心の中に棲み、その表れ方もそれぞれ違う。高峰秀子は、悪女愛染といかにも対照的な貞淑ぶりを誇る妻の楓の嫌味さとくすぶる情念を見事に表現している。夫と愛人のために料理するかまどの火が彼女の額に影を作り、内面の鬼をさらに強調している、宮川一夫の絶妙なカメラワークも印象的。廃寺を訪ねる楓の動きにあわせ、流れるように横移動する寺の外観をとらえた場面も美しい。数々の悪役が印象深い佐藤慶の高僧役は意外だったが、さすがにしっかりこなしていて、そのうさんくささも、色に転んでしまう結末に説得力を与えていた。