トイ・ストーリー3


ウッディとバズは私たちの心の中にずっといる。すれた私にガラでもないベタな思いを抱かせる,長年愛されてきたシリーズの最後に相応しい傑作だ。おそらく今年最高の作品になるのではないだろうか。見終わって久々に心が洗われるような気持ちを味わったが,そこに至るまでの過程は精神体力面共にとんでもないスケールの冒険の旅である。劇場に行く前は、期待が大きすぎてがっかりするのではと心配し,新キャラクターの登場にも懐疑的だった。前半は軽めのジョークが多くて非常におかしいが、それだけで終わってしまうのかと笑いながらも心配したが、物語が進むうちにその不安は吹き飛んだ。新キャラクターは物語上必要な存在だが、あくまでもウッディやバズたちが中心である。
トイ・ストーリー・シリーズが子どもから大人にまで人気の理由は,おもちゃは子供の遊び道具で人格がないという認識に反しての, それぞれのおもちゃの個性や彼らの間の友情、持ち主アンディに対する愛情が、優れた物語性とユーモア、高い技術力で描かれているためだろう。おもちゃたちは自分がプラスチックな消費社会の消耗品だと認識し、アイデンティティ危機を乗り越えた上で、現代社会でも変わらぬ愛情や友情を抱く。無機物な消費社会と個人の感情という矛盾する要素がダイナミクスを生み出しつつも、無理なく面白くまとめられている。本作では,その視点がさらに拡張される。アンディは大学進学のために家を離れるところで,ウッディだけを大学に連れて行き,他のおもちゃは屋根裏にしまうことにした。が,母親が彼らをゴミと勘違いしたために,必死の逃避行が始まる。
ここにあるのは,老後の生活設計という深刻な問題である。前作でのおもちゃたちは,いつかはアンディと離れることをどこかで意識しながらも,限られた時間を精一杯アンディと過ごし,お互いの友情を大切にしている。だから,本作は1995年の第一作からゆっくり作動してきた時限爆弾がついに爆発するという、どきどきの前提である。保安官ウッディとバズが活躍する最初の西部劇の場面は,一見して、第二作初めのゲーム場面の単なるバリエーションのようにみえるが,アンディとの関係の変化を描く背景となっている。捨てられそうになったおもちゃたちは偶然,託児所で第二の人生を送ることになる。最初は遊びの時間がずっと続くと喜んでいたが,サニーサイドという名前とは裏腹の黒い現実が分かってくる。そこから脱獄したと思ったら,ゴミ処理場という死の恐怖が待っている。コンベアの上を運ばれる彼らは,地獄の火を見ながらどうすることもできないという恐怖に見舞われる。
ディズニー映画なので、もちろんハッピーエンドで終わるが,本当に地獄の火のように感じたこの恐怖は半端じゃなかった。サスペンスを持続させる時間も、最近の映画より多少長目の感じで,それぞれのおもちゃを思って本当にはらはらさせられた。おもちゃたちは結局,新しい持ち主を見つける。アンディが近所の少女におもちゃを一つ一つ紹介していく場面は,書きながらまた泣けてくるほどで,15分ぐらい泣きっぱなしだった。それぞれのおもちゃの個性が,今までは殆ど画面に姿を見せなかった愛する主人によって理解され,語られ,愛情を持って次世代に引き継がれる。それぞれのおもちゃに長年愛着を抱いてきた長年のファンだけでなくても感動するだろう。劇場ではあちこちですすり泣きが聞こえた。17か18の青年が,小さい女の子に自分のおもちゃの紹介をするなんて実際にはありえないが,全然違和感がなく,幸福感が漂う。