John Gabriel Borkman ジョン・ガブリエル・ボルクマン

アラン・リックマンが,イプセンの最後期作品に主演する話題作。共演はやはり,舞台と映画両方をこなすイギリスの実力派女優,フィオナ・ショウ(「ハリー・ポッター」シリーズのペチュニアおばさん)とリンゼイ・ダンカン。1月7日から2月5日までBAM小劇場で上演中。


舞台の雪のレベルをはるかに超えた,とんでもない量の雪が降り積もる。演出的には,欲に溺れて自分のことしか考えない,登場人物の冷たい心を象徴しているのだろうが,その量と時間,美しさがただ印象に残った。フィオナ・ショウの長いスカートのすそが,雪が薄く積もった床に描く白い円も心に残る。登場人物の感情も,雪同様に素直に,観客の感情に訴えることができればよかったが。


1896年の作品だが,不正金融事件で銀行頭取が投獄されるというタイムリーな題材に加え,新訳での上演である。それにもかかわらず,今上演する意味が全く感じられない,時を越えて残る古典になりえない作品で,「人形の家」や「ヘッダ・ガブラー」と違って殆ど上演されないのも納得だ。制作はダブリンのアビー・シアターで,古典と新作上演両方の質の高さで知られるアイルランド国立劇場だが,なぜこの作品を選んだのか疑問。


元銀行家のボルクマン(アラン・リックマン)と妻グンヒルド(フィオナ・ショウ)には息子エアハルトがいるが,ボルクマンの投獄以来,夫婦仲は疎遠である。グンヒルドの双子の妹でボルクマンの恋人だったエラ(リンゼイ・ダンカン)は,エアハルトの育ての母でもあるが,死病にかかっている。この3人がそれぞれ,挫折した自分の権力欲や名誉欲をエアハルトによって果たそうとして争う,全く救いのない話である。静かにゆっくりしゃべる台詞の方が,ユーモアなど複雑な感情が表現されていたが,昔の新劇のような怒鳴り合いが多く,単調単純でうざったくなってくる。演技のできる役者3人を揃えて,もったいないことだ。


権力欲や金銭欲が身を滅ぼすという主題は分かるが,身にしみて伝わってこない。ボルクマンは自分が無実だと思っていて,力と権威を再び手にしたいと焦がれるあまり,刑期が終わってからも自宅の2階に自ら8年間閉じこもっている。が,彼の心情が表面的にしか伝わってこないので,何で閉じこもっているのか阿呆くさいと思ってしまう。
リックマンは,台詞を忘れたのではないが,舌が回らずに,リズムが崩れた箇所が控えめに数えても5−6回あった。あまりにも大量の吹雪に毎日さらされて,風邪を引いたのだろうか?舞台端でしゃべる台詞は聞き取れない部分があった。


リックマンがしゃべっていないときの表情は,フィオナ・ショウに比べやや一本調子。抑えた役作りを目指しているのは分かるが,もう少し変化があってもいい。ショウの方が舞台向きな,複雑だが分かりやすい演技。でも,リックマンにカリスマがないわけではない!いくら大顔でも,スクリーンの中のスネイプ先生より腹が出ていても,ゆっくり目のベルベットボイスからかもし出される余韻とユーモアは生で聞く価値がある。私はリックマンの大ファンなので,前から3列目に座って,彼だけカメラ目線で切り取って見がちになってしまった。


しかし,リックマンとブロードウェイの舞台「危険な関係」で共演したダンカンは,共に抑え目の演技で統一感があったが,リックマンとショウとの間にケミストリーが殆ど感じられなかったのは,常に舞台全体が見える演劇作品としては問題。元恋人役のダンカンのほうにケミストリーが強く感じられるのは正解だが,いくら8年間も顔を会わせておらず疎遠とはいえ,子供もいる夫婦であるショウとの関係性が感じられないのはまずい。


アカデミー賞の候補作を猫漫画にしてみた。
http://thebiggersleep.blogspot.com/2011/01/contenders.html