キース・リチャーズ自伝「Life」


キース・リチャーズの自伝はとにかく面白い。「ロックンロールの生存者」の長年の証言が,576ページにわたり,目の前でしゃべるように率直に語られ,ストーンズファンでなくても十二分に楽しめる。10月末に発売されて以来のベストセラーだ。以下のカッコ内引用は拙訳による。


まず,キースのユーモアのセンスに大笑いさせられ,声に出して読みたくなる。例えば,1963年のイギリス初ツアーの様子。ビートルズストーンズのコンサートで,ティーンエイジャーが熱狂のあまり失神していた時代だ。「ある娘は,3階のバルコニーからダイブして首を折って死に,その下になったヤツは重傷を負った」と語るそばから,「演奏開始10分後には失神者が出て,それが毎晩繰り返された。あまりに失神者が多い時は,舞台の脇に積み上げられた。まるで西部戦線のように」。何というドライなユーモア!


ストーンズのツアーは常に警察にマークされていて,その裏をかいたという,権威に反抗する主題も,ユーモアと共にたびたび繰り返される。以下は,ジャンキーだったころのアメリカ公演中の話。注射器を持って入国できないので, ニューヨーク5番街おもちゃ屋FAOシュワルツで「3階に行くとお医者さんごっこのセットがある。赤十字マーク付のプラスティックの箱で,その注射器は持っていった針とサイズが合う。俺は一周してから『テディベア3つとリモコン付きの車をくれ,あ,それとお医者さんごっこセット2つ!』と叫んだ。」


ユーモアのセンスと並んで特筆すべきは,まるで大企業CEOの成功物語を思わせるような自制心と頭の良さ,ビジネスセンスである。ストーンズを成功させ,超有名ブランドとして維持していくための秘訣であり,成功には理由があるのだなあと感心する。ストーンズ初期には,僧のようにストイックにブルースを学んだ。「俺たちは,起きている時間のすべてをジミー・リード,マディ・ウォーターズ,リトル・ウォルター,ハウリン・ウルフロバート・ジョンソンを学ぶのに費やすことになっていた。それが俺たちのギグで,それ以外のことをするのは罪だった。」


予期しなかった名声の圧力と付き合うために,ミックが追従を選んだように,現実逃避としてジャンクを選んだと語る。キースのジャンキー度が高まった時期は, “Beggars Banquet”や “Sticky Fingers”など多くの名作アルバムが生まれ,ミックとキースがその殆どの曲を書いた時期でもあった。キースは,ピュアなコカインを燃料に,周囲の人々がついていけないペースで働き続け,リラックスしたくなるとヘロインを使った。ピュアなドラッグのみを過剰摂取しなかったのが,自分が生き残った秘訣であると語る。もはや純度100%のコカインは入手できないだけでなく,ジャンキーであることと適量を守る自制心の両立が難しいのは言うまでもない。酒もドラッグも大量に許容できる体質でもあり,キースのペースについていけなかったジョン・レノンが,トイレでジョン(便器の意味もある)を抱えてうずくまっていたエピソードも披露される。こういった有名人のエピソードをアクセントに振りかけるバランスも絶妙で,ここからも人をひきつけ続ける頭の良さがうかがえる。


比較的初期から,プロデューサーの意向をくみつつも,自分たちのやりたい音楽を演奏するビジネスセンスがあったことにも感心する。デビュー当時はロンドン1のブルースバンドになるのが目標だったが,いざそうなってみると新しい地平線が開けた,と金について悪びれないのも正直で好ましい(ボノの胡散臭さと対照的だ)。アメリカンブルースを求めた労働者階級のイギリス人が,アメリカンドリームを体現したわけだ。しかし,ドナルド・トランプのサクセスストーリーと違うのは音楽への深い愛であり,あくなき音への追及で得たオープンGチューニングなどの成果を惜しみなく披露し,「ジャンピン・ジャックフラッシュ」や「ギミー・シェルター」「ルビー・チューズデイ」が出来た過程も語られる。


全く正直かといえば絶対そんなことはないだろう。たびたび繰り返されるミック・ジャガーの悪口は,最初は面白いが,繰り返されるうちに,ミックの言い分もあるだろうと思ってしまう。流行を追いかける内に自分の存在意義を忘れた,他のメンバーを自分のバックバンド扱いしたなどの批判は正当に聞こえるが,サイズが小さいってのはまるで子供の喧嘩だ(「マリアンヌ・フェイスフルは,ミックの小さな持ち物(tiny todger)で楽しめたわけがない。ミックはとんでもなくでかい金玉を持ってるが,それで隙間は埋められない」)。自分だってストーンズのビジネスが成功した恩恵を受けているはずなのに,ミックだけを金と名声の亡者のように言うのは偽善的だ。 ミックは,12月5日付ニューヨークタイムズ・マガジンのインタビューで,「個人的には,過去をほじくり返すのは退屈だと思う。殆どの場合,金のためだけにするヤツが多い」「1964年の試合をパブで自慢する年老いたフットボール選手のようになりたくないだろう?」と反論している。大人の反論かどうかはさておいて,過去に興味ないミックとキースの性格の違いが明らかになっているのが興味深い。


また,キースがグルーピーと(ほとんど)寝たことがないというのもおそらく嘘だろう。これらの悪口や自慢,ドラッグ問題,アニタ・パレンバーグとの関係などは繰り返されるうちに勢いを失う。初期ストーンズと60年代という時代の勢いが一致していた様子が語られる前半部分と比べると,なおさらだ。


率直さは,死人やかつての自分のアイドルに対しても発揮される。ブライアン・ジョーンズに対しては,名声にこれほど弱い人物は見たことがなく,ブライアンはなぜかストーンズが自分のバンドだと思っており,死ぬべきときに死んだと全く容赦ない。かつて自分のアイドルだったチャック・ベリーと実際に会った際の,人間性に対する「大きな失望」も隠していない。


キースが作り上げ,多くのロッカーたちがコピーした,永遠の不良少年のイメージのみを求めるナイーブな音楽ファンは,もしかしたらがっかりする部分があるかもしれない。バッドボーイなイメージは嘘ではないが,キースの一部でしかなく,ここではさらに広い生身の,リアルな大人が浮かんでくる。ルックスだけでなくより広い意味でのバッドボーイといえるかもしれない。ミックがビジネス,キースが音楽担当という一般に思われているイメージはおそらく当たっているが(キース自身もそのイメージをこの本で再び強調している),前述したようにキースにもビジネスセンスが感じられ,実際はもっと複雑だろう。ミックが前述のインタビューで,「イメージを100%コントロールするのはもちろん無理だが,有名人だったら誰でも,公に打ち出したいパーソナリティがあるはずだ」と語ったように。正直な語り口とはいえ,全部が本当であるはずもなく,隠していることも多数あるはずだ。それでも,作り上げられたイメージと事実の隙間から,音楽そのもののリズムを持った語り口から,伝わってくる音楽への愛は本物だ。


キースがイントロと最後の章を朗読するオーディオブック版も発売されている。その他の部分は,他ならぬキースがモデルのジャック・スパロウを演じたジョニー・デップが朗読している。全部で約22時間になるので部分的に聞いただけだが,これ以上は考えられない人選でも,キースを演じているように聞こえてしまうのはしょうがないか。