「宇宙戦艦ヤマト」実写版/日本沈没(1973)

SPACE BATTLESHIP ヤマト
聞きしに勝るひどさだった。2時間強のうちの1時間はなんとか我慢したものの、ついに耐えきれず、これを見なくてはならないようなほどの悪事をいつ私はしでかしたのだろうかと思いつつ、泣きながら寝てしまった。私を含めて現在40歳前後の世代は、ヤマトを劇場で見ていて、思い入れが強いから、ちゃんと作ってほしかったとただ悲しかった。震災前なら何とかジョークにできたかもしれないが、今となっては、日本人ヤバいぞと思えるレベルの低さだ。スポーツ観戦や、スポーツを巡る愛国心に興味がない私でも良く分かる、なでしこジャパンの素晴らしい試合を見てしまったから、なおさらがっかりした。


学芸会以下の演技の下手さが一番の問題だ。木村拓哉だけでなく、山崎努の沖田艦長まで下手に見えるのは作品や演出自体にも問題がある。沖田艦長の賢い戦略にはよく感心させられたが、ここでは場当たり的対応をする官僚のようで、国のために貴い自己犠牲を払うヤマト乗組員というイメージと正反対。ワープと波動砲が同じ動力を使っているので、波動砲を撃った直後はワープできないと機関士から説明されるが、すぐワープしろと命令する。人の話ちゃんと聞けよー。そもそも、ワープと波動砲が同じ動力ってのは設計ミスじゃないのか?補助動力はないわけ?(オリジナルにもあった設定だと思うが、ここでは無謀にしか見えない)もしかして東芝の設計?人類が放射能汚染の危機にさらされているという設定だし。沖田艦長のルックスは唯一オリジナルに似ていたが、威厳はあまりない。つじつまが合わなくても勢いや演技力があれば物語は成り立つが、見事にそれが欠けている。沖田艦長は説明しやすかったからターゲットになってもらっただけで、氷山の一角にすぎない。唯一リアルに見えたのが、ヤマトに地球の運命を託して見送る長官で、要は自分の責任のがれをしたい官僚である。そのほかの登場人物はすべて、悪い意味でアニメ的というか平面的だ。いうまでもないが、オリジナルのアニメの登場人物の方がよっぽどリアルだった。


衣装も変だ。上半身は例の白地に赤や青の太線だが、つなぎではなく、ジャケットとパンツ。フィット感が微妙に悪いジャケットとカーキのチノパンのようなパンツ。森雪の髪形も、量の多いストレートのロングヘアを束ねただけでどうも気が利いていない。パイロット役なので無造作を狙うにしても、ヒロインなんだから、もうちょっと見て楽しい髪型にしてほしい。セットもちゃち。カフェテリアは全く宇宙船内に見えない。CGも大したことない。ちなみに、古代進ブラックタイガー隊のパイロットたちはヤンキーあがりのノリ。戦闘機の特攻から特攻服をイメージしたのか?


日本沈没

私は、300本以上ある丹波哲郎の出演作をできるだけ見ることをライフワークの一つとしている。子供のころテレビで見たような気がするが記憶がはっきりせず、ずっと見たいと思っていた「日本沈没」をついにちゃんと見た。文句なしに、パニック・災害映画の最高傑作である。


東北大震災の政府や科学者の対応を見ても、実写版ヤマトと比べても、今の日本にはないものばかりだ。丹波総理かっこいいぜ!日本国民を心から思い、理解と決断が早く、命令がすぐに実行されるための権威がある。震災時の政府の対応を見た後では、映画だから当然という以上に爽快で、丹波先生が本当に日本の総理だったらなあと思ってしまう(総理のボケをフォローする周りが大変そうだが)。丹波総理を始め、政府高官たちは日本沈没という「想定外」の事態に混乱しているものの、日本国民にとって最善を尽くそうとつとめる。沈没の前触れに地震津波、火災が起きる。東京は火の海になり、逃げ惑う人々は皇居に逃げ込もうとする。機動隊が彼らを殴り、追い返そうとする姿を見た総理は、宮内庁に電話し、「門を開けてください」と総理命令を下す。拍手喝采。水道が止まり、道路も通行止めになるので、消火をヘリで行う場面がある。約30年前の映画の中の対策を、福島原発で行ったのは驚くほかにない。しかも、この映画の中では、総理自身が、あまり効果はないが最善策だと認めている。


日本沈没を予測する田所博士(小林桂樹)は、科学者にとって一番大事なものは何かと政界の黒幕である渡老人に聞かれ、勘とイマジネーションだと答える。また、政府高官たちとの議論の場面でも、過去のデータから想定できないような「震度8以上の地震」などの可能性を予測するために、直観と想像力が必要だと語る。ちなみに、「震度8以上の地震」と言ったのは、高官か他の科学者で、田所博士は日本沈没というさらに悪い状況を予測している。渡老人は、日本沈没の予想が変人科学者の妄想だと思われている時点から、日本が沈没する際の対応計画を支援する。こういう先見の明のある、太っ腹で金持ちな黒幕は日本にいない。日本に害をもたらす爺さんばっかりだ。高官たちも、予測は外れても責任を取るのは自分たちだけですむのだから、できるだけ多くの国民を守ろうとする。自己保身しか考えない今の政治家はこれを見るべきだ。


それぞれの登場人物の視点から、日本と日本人に対する愛着が描かれる。田所博士は、愛する国土に不幸な予言をしてしまったことを悲しみ、日本と運命を共にする。総理は最後の最後に脱出する。これからの日本人を率いるのだろう。しかし、日本が沈没しても日本人は日本人であり続けることができるのだろうか?渡老人が支援する計画の立案者たちは、今後の日本人について「新しい国を作る」「各国に分散、帰化」「何もしない」というプランを作る。「何もしない」というのは、日本という国土がなくなっても、日本人が日本人として存続できるのだろうかという問いかけである。被災地の博物館で文化財修復につとめる人々を思う。主人公の一人である潜水艇パイロット、小野寺(藤岡弘)は、婚約者と国外脱出を試みるが、地震で彼女と会えず、日本国外の別々の場所で生き抜いていく。


危機に瀕した人々の対応のリアルさと我々がこうあってほしいと思う理想のさじ加減は絶妙で、だからこそ、映画ならではのカタルシスを感じながらも、丹波総理が実際にいたらなあと思ってしまうのだ。特撮は1973年にしては頑張っていると思う。東宝制作で、災害場面は基本的にゴジラ映画だ(実写版ヤマトも東宝制作。37年間で東宝はすっかり官僚化してしまったようだ)。政府は、海外メディアに日本沈没がスクープされると、日本国内でパニックが起こるので、情報管制を敷くが(韓国と台湾、中国には事前通知が必要と言っている。福島原発の汚染水放出と一緒だ)結局日本政府の対応は後手に回って、アメリカの科学者に暴露される。それでも、政府は各国に必死で頼み込んで、一人でも多くのために避難先を確保し、避難を実施していく。オーストラリアの首相には、五百万人という大量移民を依頼し、丹波総理から12世紀の仏像が贈られる。首相は、預かるのは人より美術品の方がいいと冗談まじりについ本音を漏らす。橋本忍の脚本らしい、アメリカが京都に原爆を落とさなかったことをふまえての台詞だろう。


この文章を書いているうちに、奇しくも小松左京の訃報を知った。私が「日本沈没」を見直したのは、小松氏が死亡した約半日後だったことになる。映画「日本沈没」は驚くほど古くなっていない。彼が生きていたら、東日本大震災をふまえて、日本をどのように描くだろうか。毎日新聞によると、入院先の病院で24日、家族に向かって、「今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」と語ったそうだ。