「ダークナイト ライジング」と銃規制


コロラド州オーロラの映画館でプレミア上映中に乱射事件を起こしたジェームズ・ホームズは、この傑作を最後まで見ることがなかった。監獄内でもおそらく一生見ることはないだろう。そのこと自体がすでに、彼が犯した罪に対する罰の一部なのかもしれない。


クリストファー・ノーラン監督による「バットマン」三部作の完結編は見ごたえがある。前二作では、ヒース・レジャーのジョーカーやリーアム・ニーソンなど悪役の方が目立ち、バットマンはいちばん印象が弱かったが、ここではアンチヒーローとしての負の存在感を強く示している。クリスチャン・ベールの演技自体は一貫性があって変わっていないと思うが、悪役のジョーカーがバットマンよりも大きいベクトルで正の方向に向いていたということは今回はなかった。悪役であるアン・ハサウェイのキャット・ウーマンもトム・ハーディのベインもそつなく役をこなしているが、ベールの負のベクトルの方が勝っている。結果として、三部作最後にふさわしい、バットマンに焦点を当てた作品となった。


バットマンは、両親を暴漢に殺されたことに対する怒りと復讐という負の念からスタートしているスーパーヒーローだ。マスクで顔を隠すのは、本編中で語られるように、バットマンとして活動することで、愛する人々を危害にあわせないようにするためだ。とはいえ、あの黒ずくめの衣装はあまりにも明確に変態っぽく、こうもりのイメージもヒーローというよりは悪役に近い。真昼間に公明正大な活躍をするスーパーマンと異なり、同じ悪人退治でも、バットマンのは闇の中の私刑である。


スーパーマンバットマンという、アメリカを代表するスーパーヒーローのどちらがよりアメリカ的だろう?いちばん簡単なのは、スーパーマンアメリカの表の顔、バットマンが裏の顔と言ってしまうことだが、そう言い切ってしまうには、アメリカは外から見るほどには単純ではない。バットマンのやっていることはリンチかもしれないが、殺人はしない、銃は使わないというルールを自分に課し、それを厳格に守っている。


ジェームズ・ホームズが本作を最後まで見れなかったことについて冒頭で触れたのは、その点からでもある。本作中でバットマンは、これらのルールについて実際に語っている。ホームズがその時点まで見ていたら、彼の決心は変わっただろうかと、今更考えてもどうしようもないことを、鑑賞中に考えてしまった。防弾服で全身を覆ったのも、自宅に爆発物を巧妙に配置したのも、自らの保身にだけは具体的な想像力があったことに恐ろしさと怒りを覚える。いずれにしても、バットマンが殺人はしない、銃を使わないということは、アメリカで育った男子としてホームズが知らないわけはないと思う。


彼は「自分はジョーカーだ」と述べており、「バットマンの敵=ジョーカー=銃の使用と殺人を肯定する存在」と、優等生だった自身の中では論理付けて正当化したのかもしれないし、そうではないかもしれない。いずれにしても、乱射事件のニュースを聞く我々にとっては、直接映画に関係あるようには見えず、ホームズの精神鑑定は欠かせないだろう。バットマンなどの暴力場面がふんだんにある映画やゲームと乱射事件、どちらもアメリカ的だが、青少年の乱射事件が起きるたびに両者を結びつけるのは間違いだと思う。映画を責めてはいけないし、少なくとも凶悪な犯罪を起こさない人間は、何かをインプットしたら、そのままそれが出てくるような直接的な存在ではない。


30分ほどしか見れずに死亡した12人の人々、おそらくトラウマで続きを見る気になれないだろう58人の負傷者を含む生存者、こうした人々に平等に与えられていた「見る機会」を奪ったホームズの罪は非常に重い(もちろん、「見ない自由」という選択もあり、どちらにしても命あってこそだ)。ショッピングモール内の映画館でのバットマン完結編のプレミア上映という、最もアメリカ的な状況での、非常にアメリカ的な無差別乱射事件である。アメリカ社会での映画は、安価で平等な娯楽としてだけでなく社会の潤滑油としても、日本よりもはるかに広く深く、社会の一部であり続けている。多くの人々に愛されている作品の台詞や題名が、新聞の見出しや論説に引用されることもしばしばだ。


責められるべきは銃規制の緩さである。今回の事件だけでなく、30キロしか離れていないコロラド州コロンバインやアリゾナでのギフォーズ下院議員銃撃などの直後にも、銃規制派は規制推進を試みたが成功していない。ジェームズ・ホームズの持っていた武器は合法的に入手したもので、6千発もの銃弾を短期間でネット購入した。彼が使用した、1分間に100発を発射できるライフルは攻撃用武器(assault weapon)であり、銃所持の支持者が主張するところの、米憲法の基礎として保証されている、自衛のための武器を所持・携帯する自由または狩猟という目的をはるかに超えている。そもそも、この憲法は、警察や軍隊が全米で組織的に存在しなかった1791年当時、地域社会や国の防衛のために民兵が武器を持つ権利を保証するもので、現在の状況に当てはめるのは拡大解釈である。


ホームズが使用したのはコロンバインやアリゾナで使われてきた銃と同様のセミオートマティックで、携帯しやすく、多発式弾倉への対応が容易だと専門家は述べる。後述の元警察官も述べているように、一般人が撃つ銃は当たらないものであり、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというのを文字通り実現するのが、こうした多発式のいわば必殺銃である。


コロラド州は、コロンバインの銃撃事件以来、いくつかの銃規制法が新たに可決されたものの、依然として銃規制が比較的緩い州である。同州住民には、自衛や私有地保護などの合法的な目的のための、自動車内での火器携帯が 許されている。銃所持の支持団体は、コロラド大学で武器を隠し持つことを禁止する規制を阻止した。


武器を隠して携帯するには許可が必要だが、コロラド州はその規制が緩い38州の一つだ。犯罪歴や精神異常、裁判所による保護命令さえなければ誰でも許可を得ることができる。例えば、デンバーで武器を隠して携帯するための許可申請書はオンラインで入手でき、申請料はわずか152.5ドルだ。


武器と弾薬が入手できるサイトは多数存在する。1999年には、弾薬のネット販売を規制する法案が米議会に提出されたが可決されなかった。大統領選挙の年である今年はなおさら、銃規制のような微妙な政治問題は避けられるだろう。


銃規制推進派のブルームバーグNY市長は事件直後、銃規制を大統領選争点にするよう訴えた。オバマロムニーは犠牲者に対し直ちに追悼の意を示したが、銃規制に対しては沈黙した。オバマは、自分の娘たちも映画に行くと述べ、犠牲者が自分の娘だったかもしれないという可能性を示すことで追悼の意を表したが、銃規制に対し距離のある姿勢からは、自分の娘たちでなくてよかったという冷たさが見えて腹が立った。後に、ロムニー共和党の見解と同じく銃規制に反対し、オバマは消極的な規制支持の意を示している。


ロムニーは知事時代に攻撃用武器に対する規制法案を通過させており、オバマは大統領になったら攻撃用武器の禁止を復活させると述べたが、実行していない。 銃規制が広く論議された時代もあったが、レーガン大統領時代に全米ライフル協会(N.R.A.)がアメリカ史上最も強力なロビー団体となってからは、銃規制の問題は政治の墓場となった。同性婚よりはるかに強力なタブーであり、その意味では銃はアメリカの宗教である。また、ウォール街を占拠せよ運動に見られたように、強力で資金が豊富なロビー団体と、すぐには効果が出ない署名運動に頼る多数との戦いでもある。


N.R.A.はあまりにも強力で恐れられる存在となったため、空港ロビーで武器を携帯する自由など、新たな論点を自ら作り続けなければならなくなったほどだ。銃規制の推進者はかつては、全米レベルでの身元確認調査・登録に対して戦っていたが、今では、幼稚園で武器を隠して携帯することや、危害を加える恐れがあると自分が判断した人物に対する銃撃に対する許可といったばかげた「権利」に対して、そのほとんどの労力と時間を費やさなければならない。


コロラド州の銃規制否定派は、映画館に銃を持ち込むことができれば、死傷者は少なくなったはずで、推進派がこれを機に規制強化を目指すのは、死者への冒とくであるというクレイジーとしか思えない反論を行っている。建前だけでも民主主義の社会である以上、映画を見に行くという娯楽が生死にかかわるイベントであるべきではない。映画館に合法的に銃を持ち込めたとして、映画が始まる前に、携帯電話の電源を切ってくださいといったアナウンスのほかに、銃の使用は必要な時以外お控えください、といった案内が流れるのだろうか?国連の統計専門家Howard Steven Friedmanによると、「アメリカの殺人発生率、受刑率、銃の所持率は、他の裕福な国に比べてはるかに高い。これらの事実は、アメリカが他の富裕国と比べて暴力的であることを示している」。


銃所持者の多くは、銃を犯罪行為に使わないが、銃を使用して殺人を犯す人々の多くは、それ以前の犯罪歴がないか、あっても軽犯罪である。ホームズの場合も2011 年に交通違反があったのみだ。アメリカにおいて銃がいかに浸透しているかは、他の先進国にとって衝撃的かもしれない。しかし、ほとんどのアメリカ人は、米議会が近年、再充填なしで100発の弾丸を発射することが可能な攻撃用武器の販売を禁止する法律に対する検討を拒否し、司法長官によるテロリストのリストに載っている人物の武器購入の許可を拒否することを否定したことは知らないだろう。


最近の調査によると、N.R.A会員の82%が、テロリストのリストに載っている人物の武器購入に反対している。N.R.Aはその政治的影響力を利用して、銃を全面的に禁止するのでなく、まっとうな規制の実施に向けて現実的なリーダーシップを発揮することが可能なはずだ。


銃撃事件が起きるたびに引き合いに出されるN.R.A、いったい彼らは誰なのか?


全米ライフル協会 (NRA)は現在会員数430万人の、最も強力で資金の豊富な米ロビー団体である。過去35年間、主に共和党候補や議員と強力な関係を築くことで、銃所持の権利拡大運動をワシントンで主導してきた。NRAのサイト(https://membership.nrahq.org/forms/signup.asp )には、会員特典として「憲法修正第2条で保障されている自由を年中無休24時間保障」(銃器を保有・所持する権利を意味)「メンバー特製シューティングキャップ(NRAロゴ入り野球帽)」「会員証と月報」「会員および会員が所持する銃に対する保険」などが記載されている。1年35ドルの年会費を支払うだけで誰でも会員になれる。2年で60ドル、終身で1000ドルだ。


N.R.A.会員というとチャールストン・ヘストンやレーガンのイメージが強く、リッチでコンサバな人々という印象が強いが、この会費なら誰でも払える。実際、ギャラップの昨年の世論調査によると、アメリカの45%の家庭は銃を所持している。もちろん、他の銃所持支持団体も存在し、それらの団体の対等と同時にNRAの会員数も伸びている。


7月26日のNYT論説では、同紙コラムニストのニコラス・D・クリストフと元警官のMICHAEL A. BLACKが興味深い提案を行っている。
http://www.nytimes.com/2012/07/26/opinion/kristof-safe-from-fire-but-not-gone.html

http://www.nytimes.com/2012/07/26/opinion/armed-but-not-so-safe.html 


クリストフは、従来の銃規制の試みが政治的に効果を表さないとしても、公衆衛生上の観点から捉えることで銃の害を軽減できると訴える。たとえば、自動車に対する規制は米公衆衛生上最も成功した例である。スピード違反や飲酒運転を取り締まるだけでなく、シートベルト着用とエアバッグ装着を義務付け、若者には累進免許を発行し、より安全な道路や交差点の建設に数十年取り組んできた結果、交通事故による死者数は大幅に減った。


車を禁止することなしに安全にできるなら、銃にたいしても同様のアプローチが取れるはずだとクリストフは述べる。最近の調査によると、N.R.A.会員の7割以上が、銃購入時の犯罪歴調査に賛成している。これは、銃購入者に対する全米レベルでの身元確認調査(規制の厳しい州の住民が他州で購入するのを防ぐ)という最も重要な措置に対する広範な支持基盤となる可能性がある。銃購入時に保証人二人を要するカナダ方式の導入も好ましい。多発式弾倉に対する規制や銃購入を一月に一度のみにするなどの規制も重要だ。より安全な火器開発のための資金調達も必要だと主張する。また、法律だけでなく、飲酒運転が非難されるように銃所持者の無責任も非難されるような社会倫理の変革も必要だと述べる。


一方、シカゴで30年間警察官として勤めたMICHAEL A. BLACKは、映画館に銃を持ち込むことができれば、死傷者は少なくなったはずだという典型的な銃規制反対者の主張に反論する。


同氏は、暗闇で突然起きた非常事態に対応するのは、厳しい訓練を受けた警察官でも難しく、訓練を受けていない銃を持った一般人が加われば、さらに状況は悪化しただろうと言う。銃撃が始まった時に映画のプロモイベントと思った生存者もいたように、現場は混乱を極めていた。同氏は、運転免許交付に能力テストが必須なように、推進派と反対派が集まって常識に照らして論議したう上で、銃の所持資格を全米レベルで明確に定めるべきだと主張する。そうした規制は、警察の仕事を助け、同様の悲劇を防ぐだろうと同氏は述べる。


前述した、ギャラップの昨年の世論調査によると、アメリカの45%の家庭は銃を所持している。同じ調査では、火器販売の規制を強化するべきとする人は43%、現状維持または緩和すべきは55%。攻撃用ライフル(assault rifle)の製造・販売・所持を非合法とする法律があるとすれば、それに賛成するのは43%、反対は53%だった。この調査が始まった1959年当時、拳銃規制に対して賛成なのは60%、昨年は26%に減っている。


銃所持に対する賛成が強まっているのを裏付けるかのように、今回の銃撃事件直後に、銃の購入が大幅に増えた。地元のデンバー・ポスト紙は、火器購入のための身元確認調査数が約4割増えたと報じている。


銃規制推進者の多くは、コロンバイン銃撃事件などの犠牲者の遺族である。これは、福島原発事故後に、ついに一般大衆が立ち上がったことを思わせる。実際に被害を受けた人とその遺族が立ち上がるが、彼らだけでは政治を動かせない。原発事故の影響は長年続くが、銃は即座に殺す。どちらにしても、一般の人々が恩恵を受けるためには、直接の被害関係者以外が行動を起こすことが大事だ。


これを書いているうちに、もう次の銃撃事件がウィスコンシン州シーク教寺院で起き、犯人を含む7人が死亡した。犯人は退役軍人で、白人至上主義ヘビメタバンドのリーダーだった。ここでも、オーロラ事件やアリゾナでのギフォーズ下院議員銃撃の際と同様に、セミオートマチック銃が使われている。やはり合法的に、ウィスコンシン州の銃砲店で購入された銃だ。犯人のウェイド・マイケル・ペイジは他州での軽犯罪歴がある。


追記:この文章を読み返したら、クリストファー・ノーランの「バットマン」はアメリカの闇そのものを描いた映画であることを、あらたに認識させられた。ノーランの描くバットマンは闇と善を併せ持ち、それはアメリカの銃問題が、ここで述べてきたように、少数のクレイジーな保守だけの問題でないことと呼応している。