西部劇一挙22本

Vera Cruz ヴェラクルス(1954)

バート・ランカスター主演の「エルマー・ガントリー」を見たら、彼のそのころの映画が見たくなった。アルドリッチ監督の54年作品なのに、マカロニを先取りした要素(チャーミングでちゃらんぽらんな女好きのランカスターのと、喰えない親父のクーパー。コルブッチ風の強い女)とハリウッド(MGMの大掛かりなダンス場面と豪華なセット)が混じっている。ジョン・ウェイン=右派ということで、敷居の高かったアメリカのウエスタンは実はマカロニとそれほど遠い存在ではないのかなあと思い、ほとんどなじみのない正統派ウエスタンに初めて興味がわいた。以下はその感想を年代順に並べた。


Stagecoach 駅馬車(1939)

ジャン・ルノワール作品を思わせるようなアンサンブルの妙。30年代の名作は設定こそ違えども、ヨーロッパとアメリカ、少なくともアメリカとフランスの違いは今よりも少ないと思う。たまたまその場に居合わせてしまった人々の間のドラマが1時間半の間に自然に描かれ、出産からインディアンとの戦いまでこれでもかと詰め込んだ展開の速さで飽きさせない。音楽も効果的。ジョン・ウェインが「トイ・ストーリー」のウッディの原型なのがよく分かるクールさ。広さを感じさせる景色が印象的。


My Darling Clementine 荒野の決闘(1946)
保安官のヘンリー・フォンダもドク・ホリデイもクレメンタインも面白みがなく、彼らがどうなっても気にならない。でも、セットとロケを組み合わせた空の高さ、美しい馬たち、普通より奥行きのある酒場のカウンターに並ぶ美味しい顔のオヤジたち、昼間に撮られた夜の町の幻想的な光と影と全てのカットが美しい。



The Treasure of the Sierra Madre 黄金(1948)


黄金に目がくらんだための狂気と紙一重の強欲さは、たぶんハンフリー・ボガード最高の演技だと思う。シェイクスピアにいちばん近い西部劇ではないだろうか。幽霊物語に出てきてもおかしくないようなセット撮影の林も,業の深さとあいまって印象的。


High Noon 真昼の決闘 (1952)

グレイス・ケリーと結婚したばかりなのに、任期の切れた保安官なのに、町の誰にも求められていないのに、仇敵にたちむかうゲイリー・クーパーの行動の動機は、英雄すぎて分からない。クーパーのアップも年取っていて魅力的ではないが、彼が歩く町の風景はあまりにも魅力的に撮られている。真昼が近づいてくる町の風景は、太陽が高いために非常に大きな陰影のコントラストで撮られていて美しい。町だけでなく、草原の風景にもうっとりさせられる。人物で見逃せないのは、すでに只者でない感のある、チンピラの一人を演じるリー・ヴァン・クリーフで、彼を含む3人のチンピラが駅で待つ場面は、「ウエスタン」でオマージュされている。


Shane シェーン(1953)
大草原の小さな家」とパゾリーニの「テオレマ」が出合ったような作品だが、いろんな意味で不愉快な作品。アラバマ州の小さな町の外に土地を切り開いて住みついた家族が、悪徳牧畜業者に立ち退きを迫られているところに、よそ者のガンマン「シェーン」がやってきて彼らを助ける。まず小さな男の子がうざい上に、その幼さで実弾をこめて銃を撃ちたいというとんでもない願望に取り付かれている。シェーンはこのガキに崇拝され、母親は彼によろめき、父親は父として夫としてのプライドを脅かされる。侵入者により、家族崩壊が起きそうになるというわけ。「テオレマ」のテレンス・スタンプくらいかっこよくてカリスマ性があれば納得だが、アラン・ラッドではどうもねえ。法でなく銃で問題解決するのは西部劇の常識でも、小さい子がいる家族が中心となっているので、フィクション性が薄れ、アメリカの歴史と現実と比べてしまう。意図せずとはいえ、結局、よそ者のシェーンに悪者殺しという汚れ仕事をさせるのも偽善的で後味が悪い。見所は、ジャック・パランスの悪役の強烈な存在感。


Apacheアパッチ(1954)
54年の作品とは思えないほどプログレッシブな作品。ヴェラクルス同様にアルドリッチ監督、ランカスター=ヘクト・スタジオの独立系作品。制作年代より先を行っている感があるだけでなく、ヴェラクルスよりもランカスターのリベラルな物の見方が良く出ている。ランカスターがアパッチ族のインディアンを主演し、彼の視点から描かれるだけでなく、何と最後に死なない!リベラルすぎていまだにファンタジーになっているという貴重な作品。白人たちは作品の最後にインディアンとの戦いの終わりを惜しみ、次の戦いを見つけるのは難しいだろうと真っ赤な嘘をつくのだから。ランカスターと彼を追いかけるインディアン女の「道」としても楽しめる。アクション・スターで知的でリベラルなセックスシンボルという当時のランカスターは、今のジョージ・クルーニーみたいなものか?いや、映画黄金期のスターのステイタスを今と比べたら失礼だな。


The Searchers 捜索者(1956)
風景はものすごく美しい。が、作品としてはあまり印象に残らなかった。


Gunfight at the OK Corral OK牧場の決斗(1957)
ワイアット・アープがバート・ランカスター、ドク・ホリデイがカーク・ダグラスという美味しいキャスティングが生かされていない。安っぽいメロドラマが延々と展開して、アクションも最後の戦い以外は殆どなく、体のでかい男の子がエネルギーを封じられている感じ。テクニカラー撮影で、セット特に内装が美しいが、西部劇の荒削りの美しさやホコリっぽさがなく、都会的で場違い。草原など屋外のショットは美しいが、ワイルド感に欠ける。馬は美形ぞろいで満足。「真昼の決闘」よりリー・ヴァン・クリフの出番が多く台詞もある!と喜んでいたら、すぐに死んでしまってがっかり。



Rio Bravoリオ・ブラボー(1959)


振付された動きと効果的な音楽の使用で、ミュージカル映画のような印象を与える。帽子をかぶったディーン・マーティンが寝そべって歌うのがかっこいい!ジョン・ウェインの保安官はもちろんのこと、キュートな老人キャラなど、「黄金」と並び、西部劇のDNA要素を沢山含んでいる作品。



The Alamoアラモ(1960)

お金をかけて楽しく作っている感じ。沢山出てくる馬の可愛いこと!エキストラも存分に使っている。ジョン・ウェイン監督・主演作品なだけに、アラモ砦の攻防にいたるまでに、彼が味方の将校や部下たちをたらしこんでいく過程が、ウェインを含む右派全般の政治性を感じさせて興味深い。左より右のほうが人たらしがうまいのは万国共通か?田舎臭い見てくれよりも切れ者だと、他のキャラクターに繰り返し言わせているところは興ざめだが、それ以外は確かにカリスマ性たっぷりで、いかにもジョン・ウェインらしいウェイン。


The Last Sunsetガン・ファイター(1961)

アルドリッチ監督の61年度作品はゴシックというかギリシャ悲劇のようなメロドラマでありながら、マカロニの原型となる要素が濃く見られるという異色作。追うシェリフのロック・ハドソンと、追われるガンマンのカーク・ダグラス。ハドソンは個人的な復讐からもダグラスを追っている。ダグラスは黒ずくめ。レオーネ作品を思わせる、最後の対決のリズミカルなカット。強い女。メキシコ人がエキゾティックな背景以上の存在など。カーク・ダグラスがかっこいい。彼のベスト作品の一つではないか?メロドラマ部分は追いつ追われつの緊張を高める役も果たしており、意外なのにこれしかありえないという展開。



The Man Who Shot Liberty Valanceリバティ・バランスを射った男(1962)


このジョン・フォード後期の作品は、ジミー・スチュワートが昔を回想するという構成が重なって、西部劇の時代とフォードのキャリアという二つの歴史の厚みと哀愁が感じられる。西部にやってきた若手弁護士がスチュワートで、地元の牧場主で凄腕ガンマンがジョン・ウェイン。法の下での正義を求めるスチュワートと、西部の無法地帯ではそれは通用しないので、ならず者には銃で立ち向かうウェインが対立する構造がユニークだし、両者とも適役なだけでなく、ステレオタイプにならない存在感がある。しかし、語り手はスチュワートで出番もジョン・ウェインより多いが、最後に印象に残るのはウェイン。ジョン・フォード作品だなあという印象と、物語の中にあるように、スチュワートが象徴する法と政治がカウボーイたちの権利を代弁していく中で、自分の腕にのみ頼るウェインが消え行く存在であるという哀愁が感じられ、またそれゆえの存在感がある。



Cat Ballou キャット・バルー(1965)


リー・マーヴィンの変身がいちばんの見所。アル中のガンマンが対決のために酒を絶ち、風呂に入って身を清め、取って置きの衣装に着替える。スカーレット・オハラみたいなコルセットや、プロレスラーみたいにぶっとい銀のガンベルト、笑えてかっこいい。


The Professionals プロフェッショナル (1966)
クラウディア・カルディナーレを救出するまでの初めの3分の2は悪くないが、リー・マーヴィンが雇われガンマンたちのまとめ役ということもあって、「ダーティ・ダズン」の2番煎じで、マーヴィンやバート・ランカスターなどのせっかくの個性が活かせていない印象。最後の3分の1は、女神のようなカルディナーレの辛口とランカスター、ジャック・パランスとの絡みが見ごたえあるが、ガンマン一味がいい人になってしまう最後はいただけない。



Five Man Army五人の軍隊(1969)


69年MGM制作で、メキシコ革命側につくオランダ人が革命資金のために特殊技能を持つ男たち4人を集めて列車強盗する。その中の一人は「サムライ」役で刀とナイフ投げの名人という設定の丹波哲郎。台詞はないが、女に惚れられ、アクション的にもなかなか美味しい役。丹波さんはいつでもどこでも丹波さんだ。男たちがお互いの裏をかこうとするところや、革命側の視点で描かれている点は、マカロニの影響が濃く出ている。



Wild Bunchワイルドバンチ(1969)

1969年作のこの作品は、めちゃくちゃバイオレントで過激なアクションが多く、ちゃんとお金をかけた大作であるにもかかわらず、内省的でカタルシスが得られない。終わりの始まり感がにぎやかな場面でも漂い、物悲しい。マカロニを経由したアメリカンニューシネマ。物語の結末が虚無的だけでなく、西部劇というジャンル自体に別れを告げようとしているようにも見える。個人的な好みでは、子供など弱者の視点を繰り返し強調したりするのは、娯楽作品としてはうざったい。



McCabe and Mrs. Millerギャンブラー(1971)

1968年作の「ウエスタン」、69年の「ワイルドバンチ」の後、71年制作の作品は、「ウエスタン」のおとぎ話的要素がさらに強まり、初めから最後までファンタジーのような独自の西部劇世界とも言えるし、西部劇が死んだ後のポスト西部劇とも言える。ウォーレン・ビーティーと出会った直後の、ジュリー・クリスティーの大食い早食いが印象的。


Lawman追跡者(1971)
社会派マカロニやイーストウッドのウエスタンを思わせるような、ランカスター演じる題名のlawmanによる「法の行使」しいては、その元にある「法の支配」が主題。70年作品で、ランカスターが年取ったからか、アクション少なめでやや頭でっかちな印象だが、暗―い最後は印象に残る。lawmanとシェリフ、マーシャルの違いなど、西部劇世界の法制度について知る入門編としても。マーシャル役のロバート・ライアンはブッシュにそっくりで興ざめ。


Valdez Is Coming 追撃のバラード(1971)
71年作のアメリカ映画なのにマカロニ映画みたい。ランカスターは、メキシコとアメリカ人のハーフのシェリフを演じている。リベラルでマイノリティの存在に敏感なランカスターが絡むと、アメリカ映画でもヨーロッパ的になったり、時代を先取りしている作品になるという例。マカロニは、ヨーロッパの没落していく国という部外者の目からアメリカを見ているのだから、アメリカの西部劇よりもマイノリティ目線になるのは当然。



Red Sunレッド・サン (1971)

チャールズ・ブロンソンアラン・ドロン三船敏郎という濃い面々の共演だが、基本的にブロンソンの映画で、ドロンの出番はそんなにないし、三船にはもっと暴れてほしかった。映画全体ももっと暴れてよかった。


Unforgiven許されざる者(1992)
イーストウッドが自分の老いと向かい合いつつ、それを有効に生かして、ウエスタンの伝統を踏襲しながらもひねりを聞かせた、めちゃくちゃ頭のいい作品。と思ったのは前半で、後半はあまりに無様な死と殺し殺されることの生理的な戦慄を描いて感情的にも引き込まれる。銃撃場面も弾詰まりがあったりとリアル。