"Harpo Speaks""Groucho and Me"

最近、マルクス兄弟に凝っているので、彼らの自叙伝を読んでみた。普通の自叙伝としては、ハーポの“Harpo Speaks”が断然面白い。彼らの映画のギャグに負けないほどおかしい、ハーポ自身とチコ、グルーチョらの兄弟、アルゴンキン・ホテルに集まった作家や評論家とのエピソードの数々が目の前に浮かぶように描かれている。語り口はシンプルでストレートだが効果的で、年代や場所などの細部も比較的きちんと書き込まれている。482ぺージという分厚い本だが、映画の中では決してしやべらなかったハーポという人物と、彼が活躍した20世紀前半という時代を知るには絶好の素材で、もっと読みたくなる。

貧乏だった少年時代・ボードビル時代のエピソードは特に、抱腹絶倒のエピソードの宝庫で、たくましいストリートの知恵に長けたマルクス兄弟の映画そのものだ。チコとそっくりだったため、ピアノ弾きの仕事を二人して同時に違う場所で引き受ける。興行中に列車事故にあい、奇跡的に壊れなかったぼろのハープを叩き壊して、保険金で新調する。自己流で身につけたハープ演奏や衣装、しやべらなくなった理由などハーポというキャラクターが出来上がるまでの過程も、マルクス兄弟のファンには見逃せない。一方で、ページが進むにつれて身近になってくる死と、いかにして老いていくかという課題も、身につまされる。グルーチョやチコと違い、仕事以外では普通の人間、と自身を語るが、それはマルクス兄弟の中での普通。普通の基準からしたら十分変人だが、スクリーンの中のハーポ同様、飛びきり好感の持てる変人が鮮やかに浮かび上がってくる。

“Groucho and Me”はグルーチョのしゃべっている声が聞こえてきそうだ。自叙伝というよりは、彼が寄稿していた「ニューヨーカー」などの、ウィットの利いた雑誌のコラムを読んでいるようで、映画の中のグルーチョそのままの、人を食った軽妙な語り口に笑わされる。が、私生活を暴露させようとする編集者に抵抗するくだりがある通り、肝心のグルーチョの姿は煙にまかれたようにあまり伝わってこない。描かれている全ての事実が正しいわけではない、と彼自身も冒頭で認めている。が、”グルーチョと私(=本名のジュリアス)”ではなく、”グルーチョ”としてなら存分に楽しめ、映画では全部は聞き取れないほどの機知に富んだ早口を100%理解できる、といううれしいおまけまでついている。物事にこだわらないハーポと対照的に、おかしさと同じぐらいショウビズの大変さも印象に残り、不機嫌なという意味のgrouchyから芸名がついた(他説あり)グルーチョの性格も表している。読み物としては面白いが、友達になるならハーポだ。

この二冊の中でも描かれているようにに、根っからのギャンブラーだったチコが自叙伝を書かなかったのは納得だ。ボードビルからブロードウェイ、ハリウッドへ、とマルクス兄弟の重要なキャリアアップのきっかけは、冒険を恐れないチコが作ってきた。人生そのものがギャンブルな男は自叙伝なんて書かない。