母はボラット

6月末の5日間、母と父方のおばが私の家に滞在した。家族の経済的援助により、客を泊める部屋のあるアパートが持てるようになって以来、初めての母の滞在で緊張したが、楽しんでもらえたようだった。私も、自分の好きなNYと生活を知ってもらおうと、一緒に楽しみながら、知らなかったNYも発見できた。アメリカ生活の経験と観察力があり、理知的なおばと、天然ボケの入った無邪気で直感的な母とが、一緒に旅をするのは初めてだが、相性のいいデコボコぶりで、こちらも母一人より、かえって気が楽だった。

月曜夕方、空港に二人を出迎えてから、近くのイタリアンレストランSupperへ。レモンパスタがおいしい。アパート屋上のアクセス権がある隣の住人と行き会ったので、エンパイアステートやクライスラービルなどの夜景と庭園を楽しむ。

次の日は、朝食(有機栽培の玄米、納豆、味噌汁に母手製の梅干)の後、ポートオーソリティー近くのフレンチビストロLe Madeleineで、夫と義理の母とのランチ。天窓から日光が差し込む室内ガーデンがあり、結婚披露を行ったリトルイタリーのレストランと雰囲気が似ているのは、うれしい偶然。食べ物が素敵においしかった。
   

近くのブライアントパークを散策してから、私の通っているヨガ教室に連れて行く。その後、いつも行くスーパーや食料品店に寄り、夕飯の買い物。母のリクエストで、夕食はあっさりと、しいたけの鳥ひき肉詰めとトマト&バジル添え、アスパラガス。


夕食後、夫の提案で、10分ほど二人で演奏する。夫がギター、私は歌とドラム。多少抑え目にしたとはいえ、70近い母にとって耳馴染みがいいとはいえない音だが、もてなしの心と夫婦の相性の良さは伝わったらしく、涙ぐんでいた。

水曜はショッピングと観劇。
朝食は、スキレットで焼いたマッシュルーム&ほうれん草入りスクランブルエッグ、ギリシャの濃厚なヨーグルト、ライ麦のパンパーニッケル・ブレッド、サラダ。
高級自然食スーパーWhole Foods Market を見てから、ソーホーでH&Mなど洋服や靴、アクセサリーのショッピング。女は年とっても女の子だから、いっしょの買い物は楽しい。チャイナタウンまで歩いて、Wonton Gardenでかたやきそば、青菜炒め、ワンタンスープ。カフェでエッグカスタード。沢山歩いたが、二人ともヨガで鍛えている私より健脚。

夜はミュージカル「オペラ座の怪人」を堪能。これなら110ドル払っても惜しくない。ブロードウェイ最長ロングランには理由がある。オペラ・ミュージカル・バレエの要素、観客をはなから舞台に引き込むシャンデリアの演出、劇中劇、死の世界を表していると思われる怪人の地底世界など、ドラマが幾層にもなっている。スペクタクル物と思っていたら、小道具の使い方もうまいし、言葉が分からない観光客にも分かりやすく、かつ子供っぽくない。

トマトとチーズ入りスクランブルエッグの朝食。
メトロポリタン美術館で、イスラム&アジア美術と19世紀ヨーロッパ絵画を鑑賞。赤と緑により「人間の恐ろしい情念」を表現しようとした、ゴッホのThe Night Café(夜のカフェ)はデビッド・リンチの赤い部屋を思わせ、案内人のように見える白い服の男を始め、それぞれの人物や奥の部屋に隠された物語に吸い込まれそうだ。

ドイツ&オーストリア美術館Neue GalerieにあるCafé Sabarskyは、19世紀末のウィーンをイメージしたカフェで、ザッハトルテなどのケーキがおいしく、ウェイターの男の子も可愛い。セントラルパークの芝生でのんびり。

帰りの地下鉄で、母を泣かしてしまい、あわてる。今回の旅の前半は、私が暮らしているNYを、後半はおばの娘のいるアーカンソーを訪れるのだが、NY最後の夜になって不安になってきたらしい。「英語はあまり話せないけど、よろしく」と私のいとこの夫に英語でどう言えばいいか、と聞いてきたので、「英語ができないことはわざわざ言わなくても相手に分かるから、役に立つ他の言い回しを覚えた方が良い。アメリカ人には謙遜が文字通り受け取られるかもしれないから、かえって相手との距離を広げてしまうかもしれない」と言った途端に、間の悪い沈黙。気がついたら、泣いていた。はっきりした私の物言いが、きつく響いたようだ(というよりは自分が情けなくなった、とは母の言)。家に帰ったら、猫たちに助けられ、母も気を取り直し、私の言い分もきちんと聞いてもらえた。おばという他人がいるのも、こういう時は特に助かる。

夕食は蕎麦こうで、有機栽培の手打ちそば。大根サラダ、くるみだれ蕎麦、野菜天ぷら蕎麦に長野の酒真澄。

最後の日の朝食は、家の近所のベーグルカフェTwilight Bagleで。二人とも犬好きなので、トンプキンスクエアパークのドッグランに連れて行く。昼過ぎに空港まで見送り、二人はアーカンソーへ向かった(心配も杞憂に終わり、楽しく過ごした、と後で電話があった)。

色々楽しい思い出ができたが、何より驚かされたのは、母がボラットだったことだ。ヨガ教室のロッカールームの床を指差し、ここでヨガをするの?とたずね、家のトイレでは、洗面台にタオルをかけ、その横の便器で顔を洗おうとした!変哲もない白の洋式便器だが、自分の家のと違って見えた、とは母の弁解。ウィル・スミスの映画を見た後、黒人てかっこいいね、と言うなど、一日に一回はステレオタイプ/差別的発言をするのもボラットだ。これらの信じられない言動が、すべて無邪気に行われることも、憎めないボラットである。私がなぜ、映画「ボラット」を愛しているかがはっきりと分かった。私にとっては偽ドキュメンタリーなんかではなく、ホームビデオだったのである。

#次回は、母の訪米で思ったことの続きで、日米贈答考について書く予定。