初めての音楽ビデオ撮影

音楽ビデオの撮影を初めて経験した。20日の朝11時ごろから夜8時半まで殆どバスタブに浸かっていたので疲れたが、色々な意味でとても刺激的だった。今年2月に友人のギタリストBen Miller(http://www.benmiller.info)のCDにボーカルで参加したところ、私が歌っている曲のビデオを撮りたい、と彼の友人の映画監督Matt Kohnから今月11日にメールがあった。アルバムのタイトル曲Sirens of Phobosフォボスのサイレンたち)で、火星の衛星に住むセイレーンの歌だ。マットはNY在住の独立系監督で、2000年のブッシュ対ゴア大統領選挙で悪名高くなった投票制度の問題点を描いたCall It Democracyというドキュメンタリー作品を撮っている(http://www.callitdemocracy.com)。

初対面なので、とりあえず最初に近所のカフェで会って自己紹介し、ビデオのアイデアを交換した。身長は165センチくらいでがっちり目、ユダヤ系で眼鏡をかけていて、ややおたくっぽい外見。ドキュメンタリー作家だからか聞き上手で、話が盛り上がる。熱っぽく自分のアイデアをしゃべり、私のアイデアをメモし、たまに黙り込んでアイデアに集中する。常識あるアーティストという印象で、好感が持てる。

普通に演奏場面をとるのかと思ったら、金のためではなく趣味として、こういうのもできる、と自分と他者に示すために前衛的な内容にしたい、とのこと。デジカメでスチール写真を沢山撮ってアニメにする。水をテーマにして、私の映像は顔から肩までのみ、などなど。路上で簡単なカメラテストをして別れた後、メールと電話で何度かやり取りし、ちょうど仕事の谷間だし、クリスマス前に片付けようということで、とんとん拍子に20日の撮影になった。年老いた魔女が、旅人の心を歌でまどわす美しいセイレーンを呼び出すが、実は二人は同一人物、という私の解釈を取り入れ、マットは自分のアイデアを膨らませていった。結局、私の家のバスタブを使うことになり、撮影前日に手順等の確認をする。インド人がやっている眉と口元のスレッディング・サロンに行き、撮影に備える。

撮影当日。朝10時開始の予定だったが、興奮して6時半に起きてしまい、ベッドに戻っても寝付けない。最初の設定は魔女で、水着とタンクトップ姿に、目の上下を黒くしたメイクでコーヒー風呂に浸かる。インスタントコーヒーを直接浴槽に入れて、お湯を注いだだけで良い色になった。ずっとフラッシュ撮影で、数枚ごとにフラッシュを充電しなければならず、しかもアニメにするために同じアングルで何枚も撮らなければならないので、時間がかかる。が、コーヒー風呂は冷めにくいし、思ったより快適。

魔女なので、白目をむいたり歯をむいたりした怖い顔を沢山撮る。スナップ撮影で笑うのは苦手だから、こういう方が楽だ。口パクも撮った。顔だけ浮かび上がって見えるよう、耳を水中に入れたまま仰向きで歌うと、自分の声が頭の中でくぐもって反響して、すごく変なトリップする感じだ。水面に波立たせるために使っていた扇風機の音も低音で聞こえている。顔の角度によっては歌いにくいこともあるが、録音しているわけではないから平気だ。一番大変だったのは、仰向きのまま水中に顔を沈めることだ。鼻から口から水が入ってげほげほと苦しい。少しづつ慣らしていったが、2回やっても、どうしても撮影に充分な時間潜っていられない。苦しいけど、あきらめるのは嫌だ。お茶を一口すすってから、ゆっくりでなく一気に潜れ、というマットのアドバイスに集中力を発揮し、今度は成功した。ちょっとだけ、女優気分だ。不幸せな顔が撮りたかったという、マットの期待にも答えられた。魔女はこれでおしまい。すでに2時過ぎている。

次はセイレーンでミルク風呂。髪に銀色のジェルを付け、メタリックで透明感があるメイクにする(といっても、ほとんど水で落ちてしまったが)。ポーズは基本的には同じで、顔だけ浮かんで見えたり、横向きで水に顔を叩きつけるが、表情をより静かで笑みを含んだものに変える。ミルク風呂はコーヒーよりリラックスできて気持ち良い。髪の銀色が白に溶けて幻想的だ。マットの知り合いの女優のシモーヌが来て、火星の飛行士を演じる。彼女だけのカットと、私との絡みの両方を撮影。星の王子様のようにかわいい彼女の顔が、キスできそうな近くまで近づいてきて、どきどきする。こんなに可愛くても、ハリウッドのゾンビ映画ではその他大勢のゾンビ役、女優稼業は大変だ。LAには彼女くらいの美人がごろごろしてるだろうし。そう考えると、トッド・ブラウニングの「フリークス」に出てくる奇形人間もハリウッドの美女たちもまたフリークスであり、ショウビズという同じコインの裏表であることを描いた作品だと思えてくる。

セイレーンの撮影は魔女と大体同じポーズだが、顔を水に沈めることもなく、首の筋肉と腹筋に負担がかかる以外は体力的には楽だ。違う人格を音楽で表現することはあっても、演技の素人である私は、違う役柄に入っていくまでが難しい。セイレーンになれ、といわれてもなかなかアイデアが浮かばず、マットに言われたとおりのポーズと表情をこなしていたが、撮影が進むにつれ役柄がつかめてきた。仰向きで頭と髪をばねにして、ゆらゆらと振り子のように左右に振れる。肩までしかないはずの髪が腰まであって、旅人をからめとるような気がしてくる。役になりきれたと思ったら、撮影の山場も終わった。最終的に撮ったのは約4千枚で、撮影と後片付けが終わったのは8時半。疲れたけどなんて面白かったんだろう。普段は表情が硬い写真ブスの私をきれいに撮ってくれて、笑わせて、さすがプロだ。

撮影後はマット、夫のエドと私の3人で、近所のイタリアン・タパスに行き、ワインを飲みながら、映画の話をしまくった。あー楽しい。気分がよかったので、別れ際にマットにハグして頬っぺたにチュ。これは性的な意味のないキスだけど、プロの女優でない私は、アントニオーニの「欲望」みたいな、撮影の性的な構図をおかしがりつつ楽しんだ。マットは浴槽の縁にまたがって立ちカメラを構え、私は浴槽の中で仰向きに顔だけ出してるという、限られた場所の中で求めている効果を得るための必然的な姿勢とはいえ、性的な連想を抱かない方が不自然な構図だ。とはいえ、マットは良い奴で一緒に撮影してて楽しいけど、別に彼とセックスしたいわけじゃない(I Love my husband!)。でも、撮影中に監督や共演者とできちゃう女優の気持ちは分かる。どんなに愛情と体力のある恋人や夫でも、一日8時間もぶっつづけで彼女だけにかかわりあうのは難しい。自分をきれいに撮ってくれたらなおさらだ。

カニカルに条件反射的に、構図の性的さに気がついておかしかった、とマットに話したら、全然思いもしなかった、との返事。私より一つ年上だが、もう20年近くも映像の仕事をしてる彼はプロ中のプロで、自分はスケベな男だけど、一緒に仕事をしている人とセックスしたことはない、と断言した(でも、ガールフレンドのビデオは撮るでしょ、とエドが鋭い突込みを入れていておかしかった)。産婦人科医が女性性器を見て興奮しないのと一緒だ。とはいえ、無意識的な性的緊張感が全くないわけではないだろう。美を感じなくては芸術は作れない。セックスだけが性的欲望の発露ではないし、芸術と性欲を切り離すなんて無理無意味だ。フロイド的に言えば性欲の昇華か。ともあれ、映像に関してはアマチュアである私たち夫婦は、着衣とはいえ風呂場での撮影であることと、もちろん撮影に興味もあり、夫は家で仕事をした。マットが友達の友達というだけでなく、きちんとしたプロであることが話していて分かるので(人を見る目を養うまでに、NYでいろんな人に揉まれてきたもんだ)まったく不安はなかったものの、そこは素人のこと、夫がいてくれる方が、良いビデオを撮ることだけに集中できる。それでも構図の性的さを思い、しかも彼のカメラはガールフレンドからの借り物で(もちろんカメラ=ペニス)、撮影現場を私の夫が撮影し、シモーヌとのレズビアン的間奏もある、という複雑な関係を、マットの恋人である精神科医はどのように分析するだろう、と面白がっていた。なんてヨーロピアンなんだ!「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」って感じか?

マットは1月末までに編集を終える予定とのこと。出来上がるのが待てない!たぶん、彼がトライベッカのパフォーマンススペースで主催している、独立系映画を上映するシリーズで上演し、その後はフェスティバルなどに出して様子を見ることになるだろう。完成したらこのページにも貼り付けるので、ご期待ください。この他にも先週は、来年1−2月のギグが3件決まった。今年後半は音楽から遠ざかっていたが、続く時には続くものだ。